折伏正意に関連して。
末法初めの五百年と以後の違い


山喜房刊『日蓮教学とその周辺』に寺尾英智講師が『撰時抄身延本』
を紹介しています。

昭定の1009頁部分に相当する箇所に

「滅後には正法一千年、正法一千年は小大・権実の機なり。
末法に入ても五百年すぎなは又権機なるへきか。
唯像法の後末代の始五百歳計こそ純円の機にては候へけに候へ」

(撰時抄身延本41丁表)

とあるそうです。

聖人当時には、永承七年(1052年)が末法第一年に当ると考えられていました。、

天文21年(1552年)までが末法の初めの五百年間ということになります。(武田と上杉との川中島の戦が起こった前年頃まで)

上記の「撰時抄」文の
「末代の始五百歳計こそ純円の機にては候へけに候へ」
の類文は

「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。」
(観心本尊抄・715)


「末法の始めの五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり、
(如説修行抄・735)

との文があります。

末法の初めの五百年間は、

「在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽き」
(曾谷入道殿許御書・897)
ている、即ち、ほとんどの者が本未有善であるから

「不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時」(曾谷入道殿許御書・897)
である。故に、不軽菩薩のように、強説し毒鼓の縁を結ぶ、いわゆる折伏化導を以て、純円教の題目の五字をもって下種すべき期間であると云うお考えです。


上掲の「撰時抄」文の「また権機なるべきか」の意味は、末法の初めの五百年間以後は、権教を縁として正見に入る者も居るだろうから、強説・毒鼓の折伏方法中心の弘経方法と、少し異なった摂受的な弘経方法を採るべき場合も増えてくるだろうと云う含意が有るように思われます。


「又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。」
(観心本尊抄・714)
とあって、

末法の初めは、大判上は下種結縁の者が絶えていると云う認識ですが、在世下種結縁を受けた者が末法に少分居て、小乗経・諸大乗経を縁として法華経に近づく、正見に入る場合があると考えられていたようです。


日蓮聖人や門下・信徒やその後を継ぐ後世の弘宣者によって、多くの人達が下種結縁を受け、そして下種結縁を受けた人達が再度、生を受ける場合もあるので、末法の初めの五百年以降には、過去世に下種結縁を受けた人達が相当数存在するようになるであろうから、五百年過ぎた以降には、権教を縁として法華経の正見に近づく者も居るようになると推測されたのだろうと思われます。


そこで「末法に入ても五百年すぎなは又権機なるへきか」
と記されたのであろうと思われます。


山川智応博士が、『山川智応全集・第八巻』(本化妙宗刊)において、

「今日の仏教各宗は、僧俗を問わず、その宗義そのままに固く信仰している者は極めて少ないと思われる。学識有る僧侶は、大乗非仏説の上に立って、既に自宗の教義についても、ひとつの限定を持って居る。信者も昔の如き熱愛を自己の宗門に持って居ない。随って
四大格言の取り次ぎも、元品の無明を動かすほどの大瞋恚を起こさしめない。

各宗すでに信仰的・宗教的に存在しないのだから。その折伏たる四大格言も、やはり信仰的・宗教的にでなく、教学的・思想的に、はたまた歴史的に、聖人の事蹟を紹介する意味において、その真相を闡明し伝播しなければならない。

直接的には、不軽不慢の心に住して、法華経の思想を非認する諸々の思潮を批判折伏し、かつその当処に顕正しなければならない。それこそ今日の不軽行であるまいか。
(趣旨)」(274~276)

と論じ、


さらに、
四宗が、信仰的・宗教的の存在から、学術的・思想的の存在へと遷りつつあることの実証として真宗の金子大栄教授の極楽浄土観や小野清一郎教授の論文「社会理想としての浄土」や木村泰賢博士の「新大乗運動」論等を詳しく紹介し、

「小野清一郎教授の浄土観は鎌倉時代の正直な念仏教徒の知らなかったもので、小野氏の説は、おのずから法華経本門の妙義が、末法の真の宗教たることを語るに等しい。(趣旨)」(287)

「木村氏の新大乗運動の五大要件は、ことごとく日蓮聖人において、すでに充実せられたところで、同じ鎌倉時代の仏教でも、他においては何れかの条件を欠くを免れないが、聖人の宗教においては、氏が挙げられたすべての点を悉く充実して、なお余りある(趣旨)」
(292)
と論述し、

さらに

「仏教界の形勢はこのように『自然に薩婆若海に流入す』べく動いて居る。不軽弘通の逆化は、更に新しい謗法者を対象とすべきである。新しい謗法者とは、『人間は動物の一種であるから、ただ生存と生殖の物的内容を豊富にすることが最大目的とする生物的人生観』であり、この生物的人生観の桎梏より人類を解放すべく思想的折伏を行うことが本化学徒の任務である。しかし、不軽行の敬虔を忘れてはならないし、大慈折伏の取り次ぎは、吾等の懺悔滅罪であることを忘れてはならない(趣旨)」(294~295)

と、現今の折伏の主な対象について論じています。


山川博士の所論の紹介が長くなりましたが、
法華経の浄土観に接近している金子大栄教授、小野清一郎教授・木村泰賢博士の思想は、権教を縁として、正見に近づく・正見を生じる例として挙げられると思います。


たとえば、現今では、浄土系寺院の檀徒であっても、開祖の教義を原理主義的に強く信じて、
「法華経は理深解微であるから末世の鈍根の衆生には不向きである」とか、
「お釈迦様より阿弥陀仏の方が有り難い」とか、
「西方に浄土に往生することが真実の救いである」とか、
「阿弥陀念仏の信仰でなければならない」

などと、法華経や釈尊を積極的に貶し蔑む大謗法罪を犯している者は極めて少ないと思われます。

たまたま檀那寺が念仏系なので、お盆やお彼岸には念仏系のお寺に出入りしている人がほとんどだと思われます。

「開目抄」には
「華厳観経大日経等をよみ修行する人をばその経経の仏菩薩天等守護し給らん疑あるべからず、但し大日経観経等をよむ行者等法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし、」(開目抄・581)

とあって、法華経に敵対しなければ(貶さなければ)他の大乗経修行の者であっても、その経の仏菩薩の護りがあると述べられ、

また
「或は唯依経を弘めて法華経の讃歎をもせざれば生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり」(一谷入道御書・991)

とあって、他の大乗経を弘めても(信行していても)、法華経を褒めもせず貶しもしていなければ、悪道に堕ちない者もあるとあるように、容与的な見方もされています。

現今では、念仏系の檀家の多くは、念仏開祖の教義を知らないところの名ばかりの檀信徒がほとんどで、法華経題目を讃めたり貶したりすることはなく、習慣的に阿弥陀経を読み、念仏を唱えている程度のようです。
大石寺系統の教団信徒のほどには、釈尊・法華経を貶して居ないようです。


念仏開祖の教義の原理主義的信徒でない、あるいは念仏開祖の教義を知らないところの人達を相手にして、教条的に「念仏無間」と叫んでも、「何だか、きつい事を云う人だな」と思われる程度で終わってしまい、山川博士の指摘通り「元品の無明を動かすほどの大瞋恚を起こさしめない。(心の底に下種結縁するほどの反発を相手が起こさない)」と思われます。


四大格言を教条的に叫び四宗を否定するのでなく、思想的教理的に優れた点を知らしめて、個々の宗教理解に即応して、破邪顕正して行くことを重視すべきであろうと思います。


ただし、現今に於いても、過去の下種結縁無き者も相当数、存在するでしょうし、法華経信仰に敵対する他宗の原理主義的な者も居るでしょうから、折伏(強説・下種結縁の弘経方法)を採らなければならない場合もあると思います。

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