日蓮本仏論者に対する反論

【妙法蓮華経は釈尊が久遠に悟られる以前より(無始)あったもので、それは釈尊の法ではない。釈尊と雖も、この本法よりすれば垂迹である。】(大石寺系の主張)

このような見方は「法身(真如の法)を事法身として、総ては法身真如の派生、等流身である。釈尊も法身仏である大日如来の分身仏である」と云う真言教学の焼き直しのような考えです。

【妙法蓮華経は、釈尊の本師本法であり、それが釈尊が本果仏となるために根本因である。】(大石寺系の主張)

『当体義抄』に
「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」(513頁)
とあるので、真如実相十界互具すなわち因果倶時不思議の一法たる妙法蓮華と称せる法を準拠として(師として)修行し事の一念三千を証得したと述べられています。しかし、「至理」が有っても久遠釈尊の証悟がなかったら始まらないのです。

久遠釈尊だからこそ、真如実相十界互具すなわち因果倶時不思議の一法を準拠として修行し証悟することが可能だったので、我々凡夫が直接に真如実相十界互具すなわち因果倶時不思議の一法を準拠として修行し証悟することなど出来ないのです。

本化菩薩のような優秀な根機でも初発心の弟子となり、久遠釈尊の教導を介して証悟を目指さなければならなかったのです。いわや、凡夫は、久遠釈尊が証悟を教乗化(教法化)したところの「南無妙法蓮華経」を根本としなければならないのです。

久遠釈尊が証悟し本果位を得たのは「至理」に準拠した本因行が根本です。しかし、「至理」が有っても久遠釈尊の証悟がなかったら始まらないのです。

【『諸法実相抄』には、「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、」
とあって、妙法蓮華経や凡夫が本仏だと教示してある】(大石寺系の主張)

『諸法実相抄』のこの箇所の文意は、
「妙法蓮華経と称する実相は本有十界互具であるから、誰でも仏界を体として具しているので、本質的に尊い存在である。故に仏としての用を磨き出すべきである。」との意趣を、観心釈的な立場を強調しつつ教示している文です。
「無始の古仏たる久遠釈尊は本地の三仏ではなく。凡夫が本地の三仏である」などと解釈してはならない文です。

要の妙法・唯一部の意である妙法蓮華経は、久遠釈尊が十如実相を証悟して、衆生に事の一念三千の成仏を得せしめん為めに、教乗化した乗法(教法)です。
久遠釈尊が証悟しようがしまいかに関わらず働いている十如実相を
妙法蓮華経と表現することもありますが、そうした単なる真理を指す妙法蓮華経と久遠釈尊を介して教乗としての妙法蓮華経とは区別しなくてはなりません。

単真理としての十如実相の理を直接証悟する能力は凡夫にはありません。単真理としての十如実相の理は非人格的なものですから、慈悲をもって衆生救済活動をするものではありません。故に単真理としての十如実相は本尊にはなりません。

「諸法実相抄」には、
「日蓮末法に生れて上行菩薩の弘め給ふべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給ふべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等をまづ作り顕はしたてまつる事、予が分斉にはいみじき事なり。(諸法実相抄・学会版1359頁8行)」
と有ります。
この部分の文意に、大聖人は上行菩薩の応生であると義示され、釈迦仏は本門寿量品の古仏であると明示してあります。
また、大曼荼羅御本尊は「本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等をまづ作り顕はしたてまつる」ものだと言う文意です。
単真理としての十如実相の理を本尊として顕したとは述べていません。

十界互具・互具平等であるから、だれでも十界互具の体です。仏界を顕現して、釈尊と云う仏に成れたのは、十界互具の実相が基である、と云う事で、「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ。」と表現していると解釈すべきです。

「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ。」とあっても、釈尊が根本教主に非らずと云う意味ではないのです。

「凡夫は迷っていて未だ三身の妙用は起こしていないけれど、理性の本体の三身は衆生に具わっていて滅せず、仏果に到っても増せず。すなわち衆生と仏は一体(生仏一体)であって、仏はこの本体の三身(十界互具の中の仏界)より、迹用を起こして仏となったのであると、凡夫が仏と成れる根拠を強く示す為に体門に約して凡夫を本仏、諸仏を用の迹仏と云われているのである。
本有の妙体(仏界)の隠れると顕れる事について云うと、衆生は隠れているまま、仏はすでに顕出したと云える。ゆえに衆生は体の三身のみで、用の三身が欠け、仏は用(働き)を完全に現している倶体倶用の仏である。
仏の仏果としての力、救済力は、もともと理性としての本有の体の三身の徳が顕れたものであるので、体に約し理に約し性に約すれば凡夫は本なり体なり性なり、仏は迹なり用なり事なり修なりと云う事がいわれる。故に凡夫が仏に恩を蒙らしむ等とも書かれているのである」と言うように文意を理解する事が正当な解釈です。

また「諸法実相抄」の後半部分には、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊の久遠の弟子たる事あに疑はんや。経に云く「我従久遠来教化是等衆」とは是れなり」(学会版1360頁6行)
との文があり、大聖人と門下は地涌の菩薩であり、釈尊の久遠の
弟子であると明言されてます。

「諸法実相抄」は、「釈尊は本仏に非らず、大聖人が本仏である」などと教示していない御書であることが分かります。
明確に「日蓮は地涌の菩薩であり、釈尊久遠の弟子である」と記しています。日蓮本仏論を否定する文証です。

【「五百塵点乃至所顕の三身」を「釈尊」という名で呼んでいるようだが、それは法華経二十八品の釈尊自体ではなく、あくまでその名をお借りして真の久遠の本仏・本法の報身如来の面を示されたのである】(大石寺系の主張)

大石寺系では、「五百塵点乃至所顕の三身と法華経二十八品の釈尊自体とは別仏であり、五百塵点乃至所顕の三身とは、真の久遠の本仏・本法の報身如来のことで、大聖人の本地身自受用報身のことである。」ると言って、日蓮本仏論を主張したいようです。

法華経迹門では釈尊の本当の仏格は明かされて無いので、釈尊は、有始始成の仏とされていますが、「五百塵点乃至所顕の三身」とは寿量顕本によって闡明された釈尊の真実の仏格を語る言葉です。
虚空会宝塔中の釈尊は霊鷲山で法華経を説かれている釈尊が宝塔に入って座しているのです。
「所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く」(曾谷入道殿許御書・1030頁~1031頁)
とも、
「されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり、かかる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、」(三大秘法抄・1021頁)
ともあるように、宝塔中の釈尊は「本門久成の釈尊 」「本有無作の三身」です。かつ、上行菩薩は所化の弟子であり眷属と明示されています。
故に、大石寺系の「寿量顕本の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身とは別仏である」と云うような見解は、上掲の『曾谷入道殿許御書』や『三大秘法抄』の教示に背く解釈です。

【大聖人独自の法華経(妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)、・・・大聖人独自の寿量品】(大石寺系の主張)

大石寺系は「大聖人独自の法華経であって釈尊が法華経に説いたものでない。だから日蓮大聖人が本仏なのだ」と云いたいのでしょう。
日蓮聖人の法門は、
「寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり秘す可し秘す可し」(義浄房御書・892頁)

「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。」
(三大秘法禀承事・1023頁)
とあるように、上行菩薩として久遠釈尊より受けた法門であり、ないし、法華経特に本門の経文の深意に基づいた法門であることをお忘れなく。

「末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、」(250頁)
とあるように、寿量品の肝心たる事行の妙法五字受持信唱の行法を釈尊が法華経に置き留めて、本弟子である上行菩薩に末法弘宣を命じたのですね。その上行菩薩の応現が日蓮大聖人なのです。

『観心本尊抄』に、妙法五字は「釈尊の因行果徳の二法が具足したもの」と教示しています。
『日妙聖人御書』に、
「 此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王としてそらことせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし」(1215頁)
とあるように、妙法蓮華経の五字には、虚空会宝塔中に座している釈尊の因行果徳の二法の功徳が具しているとの教示です。

久遠釈尊の説き留め置いた妙法五字によって末法の衆生は救われるのです。「久遠釈尊は救世主でない」なんて言い得る道理などありません。
「遣使還告」と有る様に地涌菩薩は久遠本仏のお使い・代理です。使いを遣わした主、代理を遣わした主がいるのです。
直接に教えを示し教導してくれる使い・伝言者・代行者が救済主でその使いを使わしている主人は教導主などでは無いなどと言い得えません。

『高橋入道殿御返事』に
「我が滅後の一切衆生は皆我子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ、病に随て薬をさづくる事なれば、・・・末法に入なば迦葉、阿難等、文殊、弥勒菩薩等、薬王、観音等のゆづられしところの小乗経、大乗経、並に法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。」(1458頁)と、また、『曽谷入道等許御書』にも、
「慧日大聖尊仏眼を以て兼て之を鑒みたまふ故に、諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召出して要法を伝へ、末法の弘通を定むるなり。・・爰を以て滅後の弘経に於ても、仏の所属に随つて弘法の限り有り」(1033頁~1034頁)
とあるように、釈尊が、上行菩薩に、法華経の肝心の妙法蓮華経の五字を末法に弘めなさい、と委嘱された、即ち命令されたと有ります。
釈尊の差配・指図に従って、仏滅後の弘教が行われて来たと日蓮聖人は理解されているのです。
末法の始めに上行菩薩が、法華経に留め置かれた三大秘法の法門を、弘めるべしと云う釈尊の命に従って、上行菩薩の応生身である日蓮聖人は、三大秘法の法門を弘通されたのでから、日蓮聖人の出現も釈尊の差配なのです。
と云う事は、日蓮聖人の妙法弘通は釈尊の未来益物の一環なのです。
言い換えれば、釈尊の末法衆生救済の代行を行ったのが日蓮聖人なのです。
喩えると、釈尊と云う国王に遣わされた全権大使が日蓮聖人なのです。全権大使は国王の全権を受けて他国に行きます。しかし、全権大使に全権を任せたからと云って、国王の地位が無くなるわけではありません。
全権大使は、一々細かいことを国王に聞いて執政を行う者ではないですが、あくまで国王の意向に従い執政するものです。
妙法五字は釈尊の教えの精髄、肝心かなめです。故に、「久遠釈尊は末法の衆生を度せない仏だ。末法の救済主でない。」と言う道理などありません。

【妙楽大師が文句記に「諸の菩薩(地涌の)の実本測り難し。冥顕の如来の迹量るべからず。」とある。「測り難き」とは、四菩薩が法華経文面に述べられた以上の存在であることを密示している。】
(大石寺系の主張)

大石寺系は、上行菩薩が久遠釈尊より上位の仏で有ると云いたいようです。
「地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり」(247頁)とあるように、本有の菩薩界として果位の姿をとらないで釈尊の眷属として、仏願仏行を実践する方々です。

大石寺系が引用した文句記は、「久成釈尊は一の天月に、諸仏は多くの地水に映った影に譬えられる。久成釈尊は天月で有る事を知らしめるためには地水に映った月は本物でないと教えなければ(払わなければ)天月が真の月であることが解らない。そのために迹化の菩薩達が想像も測ることも出来ない昔から菩薩の修行を続けている本化の菩薩を呼び出し、それを以て、如来の久成がはるか昔であり、よって量り知れないほどの迹身をしめして衆生教化をしてきた事を顕すのである」
との文意です。「釈尊より上行菩薩の方が上位である」と密示している文などでは有りません。

河村孝照著『天台学辞典』には、
「常寂光土は真如の理の表現の土である。それ故、別に常寂光土という土がある訳でなく、これを理土という。」(302頁)
と説明されているように、常寂光土は事土ではないのです。
ですから『法華玄義巻第七上』
【或は「其の仏の住処を常寂光と名づく」と言うは、即ち究竟の土なり。寂光は埋通ずること、鏡の如く器の如し。諸土は別異なること、像の如く飯の如し。業力に隔てられ、感見すること同じからず。『浄名』に云わく、「我が仏土は浄けれども、汝は見ず」と。此れは乃ち衆生の感見の差別にして、仏土に関からざるなり。】(国訳一切経法華玄義261頁)と述べ、

霊空の『観経疏妙宗抄講述』には
「四土は方処の別無し。故に東南西北方を分ちて横に並ぶに非ず。また上界下界、処を隔てて竪に畳むに非ず。同一の土体、業力の隔つる所、感報同じからず。或は同居を見、或は方便を見、或は実報を見る。要を撮って之れを言はば土体本一にして、感見同じからず。例せば人と天と鬼と修と。一質四見の同じからざるが如し」
と説明しているのです。

ですから、久遠釈尊はどの土に居ようがその土に即して常寂光土(本国土妙)を感見していると言う事になります。
本化の菩薩達は無明を断じているので天台大師が「住処とは常寂光土なり、云々」と言っているように、諸土に即して常寂光土を感見しているのです。
本化の菩薩達が、久遠釈尊と同じく常寂光土を感見しているとしても、久遠釈尊の初発心の弟子であることは変わりないのです。
法華経経にも天台大師の論にも御書にも、「本化の菩薩達が久遠釈尊の先生であり、本仏である」などと片言隻語も述べていません。

【「 久遠釈尊の「果成の一念三千」の証悟で、末法に適した良薬」 と日蓮宗では述べているが、そんな聖者位に可能な教えで末法の衆生の功徳を得られない。】(大石寺系の主張)

大石寺系は、『観心本尊抄』に「果分の一切の所有・・・」(252頁)と有って、「釈尊の果分の一切の所有・果分の一切の自在の神力・・・すなわち、久遠釈尊の果分の総てを結要して妙法五字と為し、その妙法五字を受持すれば釈尊の因果の功徳を譲り与えられる、則ち成仏する」との明確な教示を読んでいないようです。

『曾谷入道殿許御書』にも、
「爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、・・・所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、・・・慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり、」(1032頁~1033頁)
と要法の五字が末法衆生に適応した、すなわち末法の衆生を救う要法であると明示されています。

私たちが所具の仏界(仏心)を顕現し、仏界所具の衆生としての真価を発揮する、貴君の用語を借りれば「菩薩仏」と成るには久遠釈尊が結要付嘱した妙法五字の力用によらなければならないのです。
迷いの衆生も十界互具で仏界は所具していますが、仏界を全く顔を出していないか、或は少し顕現しているか程度でしょう。
虚空会上で果分の一切を結要した妙法五字の力用に依ってのみ衆生所具の仏界が顕現できるのです。

勿論、地涌菩薩は因位に有りながら所具の仏界を全顕していると言えましょう。しかし、本有の菩薩だから久遠釈尊の弟子としての立場を取り続けるのです。

だから大聖人も人開顕の御書といわれる「開目抄」にも、ご自身を、久遠釈尊の弟子であり、仏使である上行菩薩の応現であろうと述べているのです。
大聖人をいかほど崇めても良いのですが、崇めすぎて「久遠釈尊は脱仏・抜け殻の仏、日蓮大聖人が本仏だ」などというのは、脱線転覆も良いところです。
『従地涌出品』に説かれているように、
「地涌の本化菩薩を釈尊より修行の積んだ菩薩だとか、あるいは本化釈尊より勝れた仏が居るのではないか」と誤解して悪道に堕ちる者が出て来る恐れがあるので、弥勒菩薩が「即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為に解説したまえ、是の無量の菩薩をば 云何してか少時に於て、教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる」
と釈尊に願い、その願いに応じて寿量品は説かれたのですが、かかる経文や上掲の観心本尊抄の文に背く、大石寺系の様な人も現に居るのだから弥勒菩薩の危惧ももっともです。

【釈尊の遠寿をしめす「常在霊鷲山」を釈して、実報土と判釈している。常寂光土を住処とする上行等の本地の方が釈尊より上位である。】(大石寺系の主張)

衆生教化の場は事土で行われるものです。理土の常寂光土は事土でないので教化の場にはなりません。
だから教化の場は化導を受ける菩薩達が居る実報土としての霊鷲山であり、あるいは方便有余土等だから、「常在霊鷲山とは此れ実報土を謂うなり。及余諸住処とは方便有余土を謂うなり」と天台が説明しているのです。久遠釈尊は実報土に即して常寂光土を感見していることを亡失してはいけません。

【等覚の弥勒菩薩より地湧の菩薩は上位だから妙覚の仏である。その証拠に『住処とは常寂光土なり』とある。久遠釈尊の先生であり、本当の本仏だ。】(大石寺系の主張)

「等覚の弥勒菩薩より上行菩薩は上位の妙覚であるから、久遠釈尊の先生であり、本当の本仏だ」などとは言えません。
「常寂光土を住処している菩薩」とは、「仏と内証は同じである大菩薩である」と云う意味です。
釈尊が地湧の菩薩を呼び出した三つの理由を記しています。呼んだ理由の第一番目は「是れ我が弟子なり応に吾が法を弘むべし」です。
「地湧の菩薩は寂光土に住しているから、釈尊より偉い本仏である。」などと考えていなかったことは明白です。

ちなみに云うと、彼等大士(地湧の菩薩)」は大変大勢の菩薩達だから、大石寺系の言い分だと、「釈尊の先生、真実の本仏」は大勢居ることになります。

地湧の菩薩は久遠釈尊と内証同の方達です。しかし、大義名分上からも久遠釈尊を初発心の師と仰ぎ、弟子として分を護る菩薩達です。
たとえば、先生の教えを完全に我が物として覚え切った後も、先生を師として尊敬し続ける教え子のようなものです。

興門系の要法寺日辰上人も『開迹顕本法華二論義得意抄』の涌出品の項に、
「上行等は是れ釈迦の本因妙の弟子なるが故に、果位に登るべしと雖も、旦く、久遠の師弟相を顕わさんが為に、菩薩の尊形を示し、因位に居る返を本因妙の上行と云うなり」(宗全3・247頁)
と云って、「上行はすでに果位に登る資格はあるが、上行は釈迦の本因妙の(修行時)時に弟子となったので、久遠の昔からの弟子の立場であることを顕わす為に、因位の菩薩の尊形を示しているのである。それで本因妙の上行と云うのである」
と論じています。
本化菩薩も内証は仏と同じですが、因位の姿を採りつづけている菩薩なのです。

【或る学者が「法華経寿量品の久遠釈尊は直接衆生の心想に遍入し衆生と感応道交しない」といって居る。凡夫に観見不可能な寿量所顕の釈尊は末法の本仏となり得ない。】(大石寺系の主張)

大聖人は正反対に、
「日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか、」
(真言諸宗違目141頁)

「霊山浄土の教主釈尊宝浄世界の多宝仏十方分身の諸仏地涌千界の菩薩等梵釈日月四天等冥に加し顕に助け給はずば一時一日も安穏なるべしや。」(撰時抄292頁)

「此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり、一一の文字は仏の御魂なれば此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまほり給うべし、人の身に影のそへるがごとくそはせ給うらん、」(祈祷抄1346頁)

「釈迦仏を御使としてりやうぜん浄土へまいりあわせ給へ、」
(上野尼御前御返事1576頁)

「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや」
(如説修行抄504頁)
等と有る様に、久遠釈尊は「衆生と感応道交する」仏で有り、来迎摂取してくれる仏であると教示しています。

【寿量所顕の釈尊は大聖人己心の釈尊であって、大聖人の外部に超然として存在する仏では無い。寿量所顕の釈尊を更に一重立ち入ったところに開顕される久遠の本仏本法のことである。】(大石寺系の主張)

「大聖人の外部に存在する寿量所顕の釈尊」でないとしたら、
「日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか、」
(真言諸宗違目141頁)と云う言葉など出ないはずです。

大聖人や私たちの己心に無始の古仏、則ち久遠釈尊が具されていることは十界互具の教説から言えば当たり前のことです。
十界互具は外在的に無始の古仏則ち久遠釈尊が存在するから成り立つ教理です。
「十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず」(守護国家論67頁)
と有る如く、十界互具しているから内心の仏界も顕す事が出来、また外在的存在の久遠釈尊の守護があるのです。
本有十界互具の教説からも己心所具の仏界と同時に外在的存在の久遠釈尊が存在する事を認めなければならないのです。

【本果の仏の所居の国土は実報即寂光土だから、初住位以上の菩薩以外感見不可能の境地だ。凡夫が感見できるのは、影現の釈尊のみで、本地本体そのままの釈尊との感応道交は出来ない。】(大石寺系の主張)

久遠釈尊の住処が娑婆に即した寂光土(則ち娑婆と土体が同一)で有る事、また久遠釈尊が三身円満具足であり、九界を所具しているから六或示現の応機が出来る事を、貴君は亡失しいる為めに、凡夫と応機と感機の関係が成り立たないと思い込んでいるのです。

「答えて云く法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く『我常に此の娑婆世界に在り』亦云く『我常に此処に住し』亦云く『我が此土は安穏』文此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在り」
(守護国家論72頁)

「釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり天月動き給はずば我等もうつるべからず此の土に居住して法華経の行者を守護せん事臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く父母の一子を愛するが如くならんと出し給う舌なり、」(下山御消息359頁)
とあります。久遠釈尊は娑婆に住するから法華経の行者を守護してくれるのです。
『寿量品』には
「而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
  我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
  顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ
  衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
  咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
  衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
  一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
  時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
  我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
  方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず」
と、久遠釈尊は常住不滅の実在の仏である事を説いています。

譬えば、天眼所有の天上界の者は人間界を見通すと倶舎論にも記して有りますが、
「我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って
  度すべき所に随って 為に種々の法を説く
  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」
ある通り、五眼具足の久遠釈尊は衆生の事を見通せるのです。

日本天台の恵心僧都の『真如観』にも、
「釈迦如来は三身具足し給へり。毘盧遮那とは法身なり、法身すでに法界に遍ぜり、報・応の二身また法界に遍ぜり。故に玄義第七に云く『毘盧遮那は一切処に遍ず、舎那・釈迦と成って、また一切処に遍ず。』と云へり。釈迦三身法界に遍ぜざる処なし、」
(高僧名著選集三・358頁)
と、釈迦三身は法界に遍じていると説いて居ます。
そもそも、久遠釈尊は法報応三身円満具足なのです。応身の裏に法身報身の二身が有るのです。応身だけの久遠釈尊など無いのです。妙法信行者を守護してくれる釈尊は即ち、三身円満具足の久遠釈尊なのです。

大曼荼羅御本尊は霊山一会儼然未散の光景を図顕している義があり、霊山虚空会に於いては久遠釈尊が根本仏として教主として、法華経の肝心・釈尊の因行果徳の功徳を結要し、本弟子上行等の地涌菩薩達に付属している。久遠釈尊の本弟子である上行等の四菩薩は久遠釈尊の脇士として侍っている光景です。このような大曼荼羅を拝しながら、「久遠釈尊は根本仏でない(本仏でない)、久遠釈尊は末法になったら本仏でなくなる」などと主張することは、大曼荼羅の儀相を無視するものです。

「宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、・・・我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて」(新尼御前御返事905頁)
と有ります。ここにも明確に、大曼荼羅御本尊は久遠釈尊が法華経寿量品に顕説し、久遠釈尊の初発心の本弟子である上行菩薩等に、御本尊と法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字の末法弘通を命じたと云う事が教示されています。

「教主釈尊寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は三世の諸仏と内証等しきが故なり・・・久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり」(太田左衛門尉御返事1016頁)

「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(三大秘法抄1023頁)

等とあるように、本門の事の一念三千は久遠釈尊が証得し、本門正宗に至りて寿量品に説き顕し、末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせた法門であると明示しています。

久遠釈尊証得の事の一念三千(本門の肝心妙法蓮華経の五字)を表現しているのが大曼荼羅なのです。
久遠釈尊証得の事の一念三千を『観心本尊抄』にいわゆる四十五字法体段に
「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。」(247頁)
と表現し、さらに是れを「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」と表現し、「但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、」
と述べ、その説法の光景を本尊の為体としています。霊山一会未散の光景を大曼荼羅本尊としているのです。
霊山一会の根本教主は多宝塔中の久遠釈尊であることを忘れてはならないことです。

【御書には、釈尊を本尊とする部分もあるが、本尊問答抄に「此れは法華経の教主を本尊とする法華経の正意にあらず」とある。】
(大石寺系の主張)

『報恩抄』の
「本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦多宝・外(そのほか)の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし、」
とは、「本門の教主釈尊を本尊とすべし、それは厳然未散の霊山会の光景を基にした大曼荼羅によって表す」と言う意味ですよ。
上行等の四菩薩は脇士となっていますね。もしも大石寺系の主張通り上行菩薩の本地が釈尊より高位の仏で有ったとしたら、そもそも脇士の座に配されないでしょう。

「此れは法華経の教主を本尊とする法華経の正意にあらず。(本尊問答抄)」
と言っているは、「法華経の教主」とは、その直前に「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、」と有る様に、本門寿量品顕説の釈尊でない仏格でない所の、所謂迹門に基づいた釈尊観の法華経の教主なのです。だから「法華経の正意にあらず」と批判しているのです。
そして終わりの部分に、
「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ」(373頁)
と、末法相応の御本尊は大曼荼羅御本尊であると明示しています。
『報恩抄』の教示と相反する教示では有りません。

『阿仏房御書』に、
「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。」(1304頁)
とあります。
宝塔の中に、多宝仏と釈尊とが同座しているのは、境智冥合の証悟を得ている久遠釈尊であることを示しているのです。
宝塔の中に座している事は、宝塔すなわち中央題目の中身は久遠釈尊であることが意味しています。
だから、「中央の題目は久遠釈尊と別体の単なる本法だ」などと言う主張は全く恣意的解釈なのです。

【或る学者の著に「釈迦が仏滅後の衆生救済のために残した法が『法華経』の題目だというはっきりした証拠が、『法華経』をどのように読み込んでも見出されないのである。」と述べてある。大聖人が独自に題目を導出されたと見るべきだ。】(大石寺系の主張)

この学者や天台や伝教(ただし、与えて云えば両大師は内証的には読み取っていた)や諸宗の開祖たちは、本化地涌でなかったから、法華経の深義(文の底に示されている深い法門)を把握出来なかったのです。
「此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり」(当体義抄519頁)

「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。」(三大秘法禀承事1023頁)               」
等との教示が有るように、大聖人の叡智に依ってのみ闡明出来た法華経の法門なのです。大聖人のような本化の叡智が無いから、件の学者や諸宗の開祖たちは見出す(読み取る)ことが出来なかったのです。
「大聖人が広めた題目は、もともと法華経に全く説いてない題目である」と、大石寺系のように考えると、大聖人は虚言を記したことになります。
中古天台に於いて、「天台大師の説いた止観の法門は自受用身の所説であり、智者の二字は即ち是れ教主。智者の二字は仏徳と全同であり、天台大師は止観の教主である」(大日本仏教全書・摩訶止観見聞添註220頁の趣旨)
と主張しましたが、「妙法五字は大聖人が説かれたもので釈迦が説いたものでない。だから大聖人は妙法五字の教主であり、本仏だ」と云う大石寺系の主張は、正しく中古天台のこの思想の焼き直し、同類です。

【仏と言っても、本果仏としての釈尊と、本因仏(法に約すと久遠名字の妙法といいます)との区別がある。】(大石寺系の主張)

「本因仏」と云う語句は、大石寺系統だけに通用する語句です。
本因行位は簡単に言えば「菩薩」です。日蓮本仏を主張する為めには本因行の菩薩と言う語句を使うのは、まずいので「本因仏」などど言う新語を案出したのでしょう。

久遠釈尊の本弟子・遣使還告の仏使としての立場を採った大聖人は
仏と内証同でありながら本有の菩薩界の大菩薩として本因行位を採っているのです。久遠釈尊の初発心の弟子として教導を受け、妙法蓮華経の五字七字を証得したのが大聖人の本地身である本化の菩薩です。

【寿量釈尊はその本地のまま娑婆には御出現しない。だから末法の衆生(未下種)は本果仏の釈尊とは直接的な関係は結べない。釈尊の仏法の下種を受けていない末法の衆生を度することが出来ない。大聖人は、妙法五字の下種を結んだ。大聖人こそ我々に因縁ある本因仏である。】(大石寺系の主張)

久遠釈尊の本弟子として、弘宣の命を受けた仏使として、妙法五字の下種行を実践したのが大聖人である事を御書を挙げて私は記述してきました。末法に於ける下種の実行者は大聖人であるが、その下種の法門妙法五字は久遠釈尊の法門なのですよ。下種の本当の主は下種を命じた久遠釈尊なのです。妙法下種を釈尊の代行として実践したのが大聖人なのです。
釈尊が肉身をもって人間として垂迹応現しな理由は、渇仰恋慕の心を起こさせる為め、また「一世界一仏」の道理と、予言通りに遣使還告の仏使を出現させれば、予言者である久遠釈尊の実在の証明にもなるし、法華経の真実を証明できるからです。故に「釈尊は末法の衆生教導に関係ない」などとは言えないのです。

【「仏・大慈悲を起し・・・」を根拠に、寿量所顕の釈尊が救済の根本と主張するが、「五字の内に珠をつつみ」、言い換えれば「久遠名字の妙法の曼荼羅」を建立したのは大聖人しかいない。】(大石寺系の主張)

「此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。・・・大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり、・・・法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。」(三大秘法抄1023頁)
と有る通り、大聖人図顕の大曼荼羅本尊も教主大覚世尊より口決相承したものであり、大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千であり、
法華経に説き置かれたものなのです。
勿論、大聖人にして初めて図顕出来た大曼荼羅ですが、教主大覚世尊より口決相承していたからであり、法華経に説き置かれていたから出来たことなのです。だから、大曼荼羅図顕したから大聖人が本仏だと言うことにはならないのです。

【此の大法(妙法の五字七字)を釈尊の妙法と読んでしまう、それが問題だ。正像二千年の衆生の為に釈尊が説いた妙法と、上行所伝の妙法は名は同じでも義は異なる。】(大石寺系の主張)

『法華玄義』に、
「実相の境は、仏・天人の作す所に非す。本と自ら之れ有りて、今に適むるに非ざるなり。故に最も初めに居す。・・・理を解するが故に智を生ず。・・・三法の秘密蔵の中に住す。是の法に住し已りて、寂にして而も常に照らす。十方界の機を照らして、機来れば、必ず応ず。若し機に赴いて応を垂れば、先に身輪を用いて、神通もて駭発す。変通を見已りて道を受くるに堪任せば、即ち口輪を以て宣示し開導す。」(巻第二上・国訳一切経53頁)
と有ります。文意は「久遠釈尊が真如実相(十如十界互具)を証悟し、その証悟から教乗としての法華経が説かれた」と言う意味です。

久遠釈尊の証悟が有り、その証悟から法華経が説かれ、法華経の肝要が妙法五字として結要され、そして久遠釈尊の本弟子の上首上行菩薩等に末法弘通が命じられたのです。だから「此の大法(妙法の五字七字)は釈尊の妙法」なのです。
大石寺系は、「法華経は正像二千年の衆生の為めのものだけでなく、説いた目的は末法の衆生の為めである」と云う重大な事を一向に解ってないのです。

「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり、安楽行より勧持提婆宝塔法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、
末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり・・・問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり、」(法華取要抄334頁)
との教示を大石寺系は読んでいないようです。

「大聖人ご自身が
「此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」(三大秘法抄1023頁)
と云ってあるように、「芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事」なのですよ。貴君の言葉を借りれば「名同義同」と言えます。

また、「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。」(観心本尊抄249頁)にも、「倶に純円である」と明示してます。貴君の言葉を借りれば「形は異なる異るが義は同じ」です。
『本尊抄』に、「此れは但だ題目の五字なり」とあるのは、末法の初めの謗国逆化の大体に約して、下種の要法を選択しているのです。

「但し彼は脱、此れは種なり」は、釈尊在世の正機は、釈尊の教導を信受する順縁の人達が多く、末法の通機は、ほとんどが本未有善の人達であるので、多分・正意と云う観点から、釈尊在世は脱益が多分・正意で、末法は下種結縁が多分・正意であると云う意味です。

釈尊在世に本門八品を聴聞して下種を受けた人も少分居たことは『本尊抄』の
「又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し」(248頁)との文。また『法華文句1』に「また次に今世を種と為す」(国訳一切経5頁14行)が文証です。
以上のような種熟脱についての教示を無視して、「一品二半は脱益の為めだけに説かれた」と僻解しているのが大石寺系の教学なのです。
大石寺系では、日蓮本仏論を主張する為めに、「釈尊は熟益脱益の法を説いただけ」とか「下種を行う力は釈尊の法華経にはない」などと言い張ります。

大聖人御弘通以後は順縁の人達も出てきたわけで、弟子檀那は順縁で、その他は逆縁です。『法華取要抄』に、
「逆縁の為めには但、南無妙法蓮華経の五字に限る」(336頁)
とありますが、順縁の人達には二十八品も用・助として大事なものであると云う文意を含んでいます。
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追加↓

Yahoo!」の「知恵袋」に於ける大石寺系信徒の主張に対しての批判。
【妙楽大師は『玄義釈籤』七に、「若し是れ本因ならば多種なるべからず、祇当に一の円因を修して一の円果を感ずべし。既に四の深浅不同有り(乃至)不同なるは定めて釈に属す」と御指南され、久遠実成の釈尊は方便の蔵通別の三教を説く仏であり、色相荘厳の仏であるゆえ、久遠実成の釈尊といえども、最初証得の久遠元初の仏に対しては、その垂迹であり、迹仏にあらせられると決判されています。】(大石寺系信徒の主張)

天台が『法華玄義巻第七上』において、
「迹の因多種なり。或は云く、昔、陶師となって先の釈迦仏に値い、三事をもって供養す。あるいは云く、昔宝海梵志となって、宝蔵仏の所にして大精進を行じ(略抄)」(法華玄義巻第七上・菅野博史訳注法華玄義中・694頁)
等と諸経に説かれている釈尊の菩薩時の修行を列挙し、
「此の諸因は、近の故に、浅深不同の故に、払わるるが故に、悉く迹因である(取意)」
と説明しています。
諸経に見える釈尊の修因行は、釈尊が久成後に方便的に示したものだから迹因であると云う意味です。

大石寺系信徒が提示した妙楽大師の文は、天台大師の説明を補釈している部分です。
妙楽大師は
「すなわち、是れ本実成の後、物機に随順するなり」(訓読法華玄義釈籤会本下226頁)
と、諸経に見える釈尊の修因行は、久成の為めの因行でなく、衆生の機根に従って示した因行であると説明しているのです。

ゆえに、引用の『釈籤』の文には、大石寺系信徒の言う【久遠実成の釈尊といえども、最初証得の久遠元初の仏に対しては、その垂迹であり、迹仏にあらせられると決判されています。】などととの文意は全く無いのです。大石寺系信徒の恣意的切り文解釈です。

また大石寺系信徒は
【天台大師は『玄義』第七に「若(も)し過去の最初に証する所の権実の法を名づけて本と為(な)す」と説かれ、寿量品久遠実成の釈尊の五百塵点の根本について、さらに最初の仏の証得があり、その仏を根本とせよと御指南されているのです。】
と云っていますが、恣意的解釈も甚だしいです。

大石寺系信徒の引文は
「若し過去の最初に証する所の権実の法を名づけて本と為すなり。本証より已後、方便をもって他を化し、三を開して一を顕し、迹を発して本を顕すは、還って最初を指して本と為す」(玄義巻第七下)
の箇所です。この部分の意味は
「久遠実成の際に証した権実の法を本とし、本成已後に衆生教化を始める場合には、初に方便の諸経を説き、機縁が熟すれば法華を説いて開三顕一するのであるが、実成時証得の法を本とするのである」との意味です。

故に、「寿量品久遠実成の釈尊の前に最初の仏が居た。その最初の仏を根本とせよ 」などと云う文意は全く無いのです。

大石寺系信徒は
【まず大石寺教学には「久遠実成の釈尊は、本実成以前において、先仏の所で教導を受け修行した」などという御伽噺のような教えは存在しません。久遠実成の釈尊は方便を身に帯した釈仏であり、本因より垂迹した仏である、衆生の機根に応じて四教を説く仏である、色相荘厳の本果妙の仏であるのです。】と述べているので、
1,「久成釈尊は本因より垂迹した仏である」
2,「衆生の機根に応じて四教を説く仏である、色相荘厳の本果妙の仏である。」
3,「四教を説くから方便を身に帯した仏である」
と主張していることが分かります。

法華経や御書のどこにも「久成釈尊は本因より垂迹した仏である」などと云う意味の文は有りません。
そもそも「本因妙」とは、
「本初に菩提心を発して、菩薩の道を行じて修する所の因なり」(法華玄義巻第七上・法華玄義中・686頁)
で、「本果妙」とは、
「本初に行ずる所の円妙の因もて、常楽我浄を契得し究竟するは、すなわち是れ本果なり・・・甚だ大いに久遠なる初証の果を取りて、本果と名づくるなり」(法華玄義巻第七上・法華玄義中・687頁)と云う事です。
本因行に報われて本果を得るのです。「本因より垂迹した仏」なんて有りません。

仏の智慧は慈悲を伴うので、迷いの衆生が居れば必然的に救護教導を始めます。故に
「已に果を成ずれば、即ち本時に証する所の二十五三昧、慈悲・誓願、機感相関わることありて、能く寂に即して而も照らす。故に本感応と言うなり。」(法華玄義巻第七上・法華玄義中・688頁)
とあります。

衆生に教えを説き救護教導するからこそ尊いのです。
「説法するから(四教を説くから)方便身を帯した仏である」
などと侮ることは許されないでしょう。

「三仏(法身仏・報身仏・応身仏)具足して、欠減有ること無く・・・此れは即ち円仏の果成の相なり」(法華玄義巻第七上・法華玄義中・698頁)
とあるように、久成本果の仏は三身相即具足の仏です。

「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、」(本尊抄247頁)
とあるように、久成釈尊は、応身を表に示して、四教を説法しても、本体は三身相即具足無始の仏ですから、「四教を説くから方便を身に帯した仏である。色相荘厳仏である」などと貶すことは大変な誤りです。

前に指摘したように、妙楽大師は
「すなわち、是れ本実成の後、物機に随順するなり」(訓読法華玄義釈籤会本下226頁)と言っている意味は、
「諸経に釈尊の過去世の菩薩行(因行)を様々に語ってあるが、それらは久成の為めの因行でなく、衆生の機根に従って、仮に示した因行である」と言う意味であって、大石寺系信徒は【久遠実成の釈尊は、久遠最初の成道に蔵通別円の四経の化導があったことを明確に御指南している】文であると言っていますが、全く恣意的解釈です。

また大石寺系信徒は、
【また仏因なくして仏果である三十二相の色相荘厳は、仏法の道理からしてありえず、三十二相ですから、本因と本果成道との間に、無量劫の時間の隔たりがあることも明らかとなります。すなわち本果成道の顕本においては、本因の実義と実体を顕すことができないのです。本因妙の名字即の仏である大聖人様の本因本果倶時倶足の成道ではないのです。】
などと書き連ねていますが、

『当体義抄』に
「此の釈の意は至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり、」(学会版513頁)
とあるように、「仏因仏果同時に之を得る」とあるので【本因と本果成道との間に、無量劫の時間の隔たりがあること】などと言えないことが分かります。

『当体義抄』には、続いて
「問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、今日又中天竺摩訶陀国に出世して此の蓮華を顕わさんと欲すに機無く時無し故に一法の蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宣誘引せしこと四十余年なり、」
(同書513頁)
とあるので「聖人理を観じて」の聖人とは釈尊を指していることが明白です。釈尊は【本初に於いて本因本果倶時感得】した仏であると『当体義抄』に教示されているのです。

大石寺系信徒は
【大聖人様が釈尊が寿量品に説かれた五百塵点劫を遡る遥か以前の久遠当初において、凡夫の当体のまま、即座開悟をされたことは、『三世諸仏総勘文教相廃立』に御指南されています。
「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまひき。」
さらに、『当体義抄』には、「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。」と、説かれる通りです。】
と主張しています。

大石寺系信徒が提示した『三世諸仏総勘文教相廃立』の文は、
「釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世番番に出世成道し在在処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す、其の後方便の諸の経教を捨てて正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して」(568頁)
とあるのです。
この文に依れば、この五百塵点劫の当初即座に証悟した釈迦如来とは、インドに応現した釈尊の正体であることが明白です。「仏因仏果を同時に得て、妙因妙果倶時に感得し、妙覚果満の如来になった聖人とは日蓮大聖人の事である」と云う意味などないのです。

大石寺系信徒が引用した文の後に
「問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、今日又中天竺摩訶陀国に出世して此の蓮華を顕わさんと欲すに機無く時無し故に一法の蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宣誘引せしこと四十余年なり、」
(同書513頁)とあって、「聖人理を観じて」の聖人とは釈尊を指していることが明白であるのに、大石寺系信徒は「仏因仏果を同時に得て、妙因妙果倶時に感得し、妙覚果満の如来になった聖人とは日蓮大聖人の事である」
などと恣意的脱線解釈をしています。

『三世諸仏総勘文教相廃立』や『当体義抄』を恣意的に解釈しての「日蓮大聖人こそ本因妙の凡夫即極・人法一箇の御本仏、下種本仏である」との大石寺系信徒の主張は、日蓮聖人の教示に反したものです。

また大石寺系信徒は、
【三十二相八十種好の色相荘厳は、いわば仏が世間に随順するものです。法華経方便品には、「我れ相を以って身を飾り光明世間を照らし無量の衆に尊ばれ為に実相の印を説く」と説かれ、法華文句の四には「身相弊炳著にして光色端厳なれば衆の尊ぶ所となり即ち信受すべし」と、また、摩訶止観輔行伝弘決の六の本には、「謂く仏の身相具せざるは一心に道を受くる能わず器の不浄なるに好き味食を盛れども人の喜ばざる所の如し、是の故に相好を以自ら其の身を荘る」と、説かれています。
色相荘厳とは文字通り、外面の姿を飾ることですが、それは、仏の教えを理解することのできない衆生のために、まず引き付け、渇仰の心を起こさせる手段です。ゆえに、金ピカ三十二相の色相荘厳の仏の姿は、仏としての生命本然の姿ではなく、衆生を誘引するための方便の姿であり、真実の仏の姿ではありません。これを天台大師は、「体の姿が立派であり光り輝くようであれば、衆生が喜び、その説く法を信受する」と法華文句にいい、妙楽大師は摩訶止観輔行伝弘決に、「食物が美しい器に盛る方が喜ばれることになぞらえている」と御指南されているのです。
また、久遠五百塵点劫成道の釈尊も、金ピカ三十二相の色相荘厳仏であったこと、法華玄義釈籤に云く「既に四義浅深不同有り故に知んぬ不同は定めて迹に属す」、また、「久遠に亦四経有り」等の御指南の如くであります。
結論として、五百塵点劫成道の久遠実成の釈尊は、世間に仏法を信受させるために、かりに世間の好みに応じてとった方便を纏った仏であること、文証より明らかです。】
と主張しています。

大石寺系信徒が自説の根拠として、文中に【法華文句の四には「身相弊炳著にして光色端厳なれば衆の尊ぶ所となり即ち信受すべし」】
との『法華文句第四下』にあると言う文を提示していますが、そんな文は有りません。

「身相炳著にして光色端厳なり、内に闇惑無く、外に光明有り、則ち口に欺誑無く、衆の為めに尊まれて、大乗の印を説きたもう。す則ち信受すべし。」(天台大師全集法華文句二935頁)
と有る文を、大石寺系信徒は、自説の為めに都合良く読み替えて、いかにも衆生教化の方便の為めに三十二相の姿を化現している、つまらな仏で有ると説いている文のように、勝手に書き換えているのです。

また大石寺系信徒は【摩訶止観輔行伝弘決の六の本には、「謂く仏の身相具せざるは一心に道を受くる能わず器の不浄なるに好き味食を盛れども人の喜ばざる所の如し、是の故に相好を以自ら其の身を荘る」と、説かれています。】と、「荘厳身の仏は方便の仏で真実の仏でない」との趣旨を主張しています。

大石寺系信徒が提示する『摩訶止観輔行伝弘決』の文は、元々は、
「答う。既に妙法有って其の心を荘厳す。身に相好無くんば、或は恐らく度せん者、心に?慢を生じ、仏は身相を具せずと謂い(う)て一心に道を受くること能わず。器の不浄なるに好美食を盛るも人の喜ばざるが如し。臭皮の嚢に好宝物を盛るも取る者楽しまざるが如し。是の故に相好をもって自ら其の身を厳りたまう。」
(訓読摩訶止観弘決会本中613頁。天台大師全集摩訶止観三682頁)
とある文です。

たとえ身相を荘厳しても、この文に「既に妙法有って其の心を荘厳す。」とあるように、妙法を証得しているのですから、方便仏とか虚仏などと軽視する文意など全く無いのです。
このように、大石寺系信徒は自義に不利な文を省いたり、前後の文意を無視して恣意的解釈を言い張るのです。

『法華文句・釈提婆品』に
「具三十二相とは、深く法身の理を得て即ち相好を備う。」
(訓読法華文句記会本下64頁。天台大師全集法華文句四1993頁)
と有ります。相好を備えていながら、法身の理をも得ているのだから「方便の仏で真実の仏でない」などと軽視することは大変な誤りです。

『摩訶止観第七下』にも
「深く罪福の相に達して、遍く十方を照らしたもう、微妙の法身、相を具せること三十二。若し中道を証せば、中道に即ち此の相を具す」(訓読摩訶止観弘決会本下172頁)とも有ります。
中道を証すれば三十二相が具わるのです。中道を証しているのだから相好を備えても「方便の仏で真実の仏でない」などと軽視することは大変な誤りです。

日蓮聖人の本地の上行菩薩も、
「身、皆な金色にして、三十二相、無量の光明あり」(涌出品)
と有るように色相荘厳の身です。
大石寺系信徒の論理では「上行菩薩は荘厳身であるから、方便の菩薩、真実の菩薩でない」と云う事になってしまいます。

『神力品第二十一』に於いて、日蓮聖人の本地身上行菩薩は結要付嘱を受け末法に応生されたのですが、上行菩薩に結要付嘱し末法の初めに本門の肝心南無妙法蓮華経の五字を弘宣することを命じた釈尊は
「広長舌を出して、上梵世に至らしめ、一切の毛孔より、無量無数色の光を放って」と有るように、三十二相の荘厳身です。

「三十二相の荘厳身の釈尊は方便の仏、真実の仏ではない」とすると、上行菩薩すなわち日蓮聖人は「方便の仏、真実の仏ではない仏」から付属を受けた事になってしまいます。

『観心本尊抄』に
「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、」(学会版247頁)
とあるように、大曼荼羅御本尊は霊山虚空会の儀相をもって表しています。
大曼荼羅御本尊の釈尊は三十二相色相荘厳の仏で有り、列座の十方の分身諸仏も同じく色相荘厳の仏であり、上行菩薩等の本化の四菩薩も、釈尊の脇士として、三十二相色相荘厳身をもって列しています。
大石寺系信徒のように、三十二相の荘厳身を蔑視していては大曼荼羅御本尊も礼拝できないでしょう。

大石寺教学の「釈迦は本果の仏だから根本仏として尊ぶだけの価値は無い」と言うような主張は、本因と本果を分離し、「本因の方が重要だ」と言う誤った考え方が元になっています。

例えば、大人のAさんを果としますと、幼児期、少年期、青年期の時分のAさんは因に当たります。
現在のAさんの外に、幼児期ないし青年期の時分のAさんなど別存在していません。大人になった現在のAさんの人格の中に、幼児期ないし青年期の時分のAさんは含まれています。
この道理は、果は因を含んでいるということで、果位の仏で有る釈尊は本因行の徳を具していると言うことです。

だから、「釈迦は果仏だ」と言って釈尊を軽視する大石寺の主張は
譬えれば「大人になったAさんは相手にする価値がない、我々は子供時代のAさんのことを尊敬し相手にするのだ」と言い張っているようなものでしょう。

また大石寺系信徒は、
【「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。」(『諌暁八幡抄』)
脱益・下種益の仏については、文字数の制限で割愛しますが、法華本門の釈尊は脱益の仏であり、法華誹謗の者は治すことはできないと次下に述べられ、これこそ大聖人様こそ下種本仏であるとの宣言です。】と得々と恣意的解釈を述べています。

引用の『諌暁八幡抄』に「日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。」
とあるので、大石寺系信徒は「日蓮大聖人草創の仏法は、釈尊の仏法ではない」と謬解してしまったようです。

また大石寺系信徒は「日は光明月に勝れり」の文意を「月の光に譬えられる釈迦の仏法より、日の光に譬えられる日蓮大聖人の仏法の方が勝れている」と謬解してしいるようです。

インド・中国と弘宣流伝してきた仏法は、正法時代、像法時代に対応した法門であって末法時代には即応しないから、弱い月光に譬えられ、日蓮聖人が弘通する妙法五字は、釈尊が法華経に説き留められたの末法相応の最大の深秘(じんぴ)の正法であるから強い日光に譬えられているのです。
日蓮聖人が弘通する末法相応の最大の深秘(じんぴ)の正法妙法五字は、釈尊の仏法の肝心かなめ、そのものなのです。

その証拠に
『撰時抄』に
「仏は説き尽くしたまえども、仏滅後に・・・天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘(じんぴ)の正法、経文の面(おもて)に現前なり」
とあり、また『観心本尊抄』に
「この本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於いては・・・八品(法華経後半の中心部)を説きて、これを付嘱したまう。・・・かくの如き本尊は在世五十余年(法華経以前)にこれ無し。八年の間(法華経説法の期間)にも、ただ八品(法華経後半の中心部)に限れり」
と明言されています。
日蓮聖人は、釈尊が法華経に説き留めてくれた末法相応の教えを弘通しているのだと云う確信から、
「日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使(おんつかい)・法華経の行者なりと名乗りそうろうを」(一谷入道御書)

「日蓮いやしき身なれども、教主釈尊の勅宣を頂戴して、此の国に来たれり」(四条金吾殿御返事)
と、御自身を釈尊のお弟子・お使いであると自覚されていました。

いわば、釈尊という国王に任命派遣された全権大使にあたるのが日蓮聖人です。真の権限は国王に当たる釈尊にあるのです。

大石寺系信徒は【『諌暁八幡抄』に、法華本門の釈尊は脱益の仏であり、法華誹謗の者は治すことはできないと次下に述べられ、】
などと言っていますが、『諌暁八幡抄』には「釈尊は法華誹謗の者は治すことはできない」と言う意味などの文などありません。
「仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに」とあるように、釈尊は、【法華誹謗の者は治すことは出来ない】という文意などではありません。

「大判的に云えば、仏在世には、末法時代のように、本未有善・法華経誹謗の者が、多分を占めていなかった、すなわち、法華経誹謗の者が無かったから、仏は法華経謗法の者を治し給はず」
との文意です。

釈尊の教導を受けた弟子信徒達のほとんどの者は、過去世に於いて法華経・妙法五字の下種結縁を受けた機根、すなわち脱益を受ける機根だったので、浅い教えから次第に深い教えを説き聞かせ、機根を調熟して、一品二半を説き聞かせ解脱せしめる教導を正意とされたのです。

多分・正意と云う観点から、釈尊在世は脱益が多分・正意であったから、「但し彼は脱」と云われたのであって、「脱益を多分・正意とされたから劣っている」などと侮蔑する意味合いなど無いのです。

仏在世にも少分的には下種益を受ける者も居たのです。
『法華文句1の八』に、
「今世を種となし、次世を熟となし、後世を脱となす、未来得度の者これなり」(国訳一切経5頁14行)とあり、
妙楽大師が
「未来脱と云うは、是れ皆な、滅後及び末法脱益の者を示す」
と補釈しています。また、
『観心本尊抄』に
「又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し」(学会版248頁)
と有るますが、これらの文は、在世にも種益が有る証文です。

御遺文の諸処に、但信口唱によって成仏得脱を勧め、現在及び霊山往詣の成仏を勧めていますが、これは、末法にも脱益があって、下種益だけでは無いことを示して居ます。

「種脱相対」については、次の日蓮宗の一般的な考えが正当でしょう。
《 種脱相対に勝劣の義を立てることは日蓮聖人の意に背くことである。況や、種脱は一雙である。例えば果実を其の種子とすると同じであるから、脱益の一品二半は劣り、下種の題目は勝れると云う理は無い。故に、「本尊抄」には、正宗の一品二半を簡んで流通の題目の五字を取るために、先ず其の法体同を示して「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり」と云っているのである。「一同に純円」に於いて勝劣浅深を立てることは出来ない。
種脱相対の判の目的は、在世と末法との得益が不同である故に、要法の異を簡ぶことにあって、其の法体に浅深勝劣を論ずる為めではない。
本尊抄に、「此れは但だ題目の五字なり」とあるのは、末法の初めの謗国逆化の大体に約して、下種の要法を選択しているのである。「逆縁には但だ妙法蓮華経の五字に限るのみ、」と云う意味である。
「題目は一品二半の所詮肝要であって、一品二半は舒(の)べた品、五字は巻(まい)た要(かなめ)と云う関係で、彼は脱益の機・時なるが故に、舒(の)べた一品二半を便とし、今は下種の機・時なるが故に、巻(まい)た所の要法五字を便とする。すなわち同一法体の上に、時・機の宜しきに依って、相の異なりがあるだけで、一品二半と妙法五字とに法体の勝劣があると主張している文ではない。》

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