日寛毒に当たっている

 

○、日蓮宗の人と大石寺系の人との議論を交わしているヤフーの或掲示板を一瞥してみました。

案の定、大石寺系は

(1)「法華経と妙法五字とは関係があるが法体は異なる」

(2)「妙法五字や三大秘法の相貌などは法華経の文には説かれていない。大聖人が説いたものだから大聖人が末法の仏である。妙法五字や三大秘法が法華経に説かれているとか、釈尊が説いた教えであると書いてあるのは、相手の機根に応じた表現である、真実義ではない。寿量品のどこに三大秘法の相貌を説かれているか、経文をあげてみろ」

(3)「日興上人が『日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候』等と言っているのは、権実相対・本迹相対において言っているのであって、文底義に立った言葉でない。」

(4)「日興上人の信徒宛の消息には、『聖人御影のご宝前に申し上げ候了』とか『仏にまいらせて候』とか『仏の御見参に申し入まいらせ候ぬ』とか『佛聖人の御座候座に』とあって、文底義に立って大聖人を仏であると尊崇していた」

等々の主張を繰り返しています。

寿量品と妙法五字とは法体は同じ。

「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」(本尊抄250P

「此の妙法は・・・久遠実成の妙覚極果の仏の境界」

(立正観抄531P

「正しく久遠実成の一念三千の法門は・・・本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり、」(太田左衛門尉御返事1016P

「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(三大秘法抄1023P

等との教示によれば、大聖人弘通の妙法五字は、

「久遠実成釈尊が証得した一念三千」

「久遠実成釈尊の境界」

「寿量品に説き顕した一念三千の宝珠」

のことです。

「寿量品肝心たる妙法蓮華経の五字」と有りますね。「」の字の語意を、辞書には「所有・所在・所属・範囲をいみする。○○が持っている。○○のものである。との意味」と説明してあります。

だから正しい日本語の用例よれば、「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」の意味は「寿量品が持っている肝心である妙法蓮華経の五字」と云う意味です。

妙法五字は、釈尊所説の寿量品の肝心だと言うことは、寿量品と妙法五字とは法体的には同じだと云うことになります。

また、「在世の本門と末法の始めは一同に純円なり」(観心本尊抄)と、在世の本門と妙法五字とは、共に純円すなわち法体は同一であると教示されています。「彼(釈尊在世)は脱で、一品二半であり、此れ(末法)は但だ題目の五字である」とある意味は、法体としては同一純円教であるが、釈尊在世と末法の始めとは、時代と機根の違いから種脱の異なりがあると言うことです。しかしこれは所行の法の形としては別異があるが、法体に勝劣が有ると云う意味では無いのです。

顕本法華宗の本多日生上人が、

「題目は一品二半の所詮肝要であって、一品二半は舒(の)べた品、五字は巻(まい)た要(かなめ)と云う関係で、彼は脱益の機・時なるが故に、舒(の)べた一品二半を便とし、今は下種の機・時なるが故に、巻(まい)た所の要法五字を便とする。すなわち同一法体の上に、時・機の宜しきに依って、相の異なりがあるだけで、一品二半と妙法五字とに法体の勝劣があると主張している文ではない」と、平易にくだいた説明をしてくれています。

しかし、日蓮宗側がこのような説明をしても、大石寺系は、アアダコウダと言って「法華経と妙法五字とは関係があるが法体は異なる。寿量品より妙法五字の方が勝れている。寿量品より勝れた妙法五字を説いた大聖人の方が根本教主であり末法の仏だ」と主張し続けます。

また、別な面から「寿量品と妙法五字とは法体的には同一」ということを述べてみます。

『観心本尊抄』に「在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し」(観心本尊抄248)とあります。この文意は、在世において本門八品を聞いた者たちの中には、下種の益を得た者や調熟の益を得た者、脱益(解脱証悟の利益)を得た者があると言うことです。 寿量品が妙法五字と法体的には同一であるから、本門八品聞法によって下種益を得られたのです。

妙法五字の根本教主は釈尊

大石寺系の(2)の主張に対して、

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(開目抄189頁)」

「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては・・・八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為・・」(観心本尊抄247頁)

「仏滅後に迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親乃至天台伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり」(撰時抄272頁)

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、」(新尼御前御返事905頁)

「正しく久遠実成の一念三千の法門は・・・本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、」(太田左衛門尉御返事1016頁)

「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」(三大秘法抄1023頁)

「迦葉、阿難等、龍樹、天親等、天台、伝教等の諸大聖人知りて、而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明たり。」(曽谷入道等許御書1037頁)

等との御書を挙げて、妙法五字や三大秘法は根本教主釈尊が説かれた法門であると指摘しても、大石寺系は「釈迦は妙法五字や三大秘法を説いていない。大聖人が初めて説いた法門だ。法華経の文に説かれているとは方便的に言っているまでである。法華経の文のどこに妙法五字や三大秘法を説いてある法華経の文を示してみろ」などと言うような反論します。

大石寺系の言い分だと「大聖人は自説を権威づけるために法華経に三大秘法が説いてあると嘘を言っている」ことになりますね。

大石寺系は「法華経は末法に価値がない。価値のない法華経を説いた久成釈尊も価値がない。用済みの脱仏だ」と主張したいために、無茶苦茶な反論をしてきます。

大聖人の智眼が読み取る

そもそも、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」(開目抄)とあるように、一大秘法の妙法蓮華経、三大秘法は、仏教史上において、竜樹天親天台大師等の聖者にして、はじめて気がつけるほどの法華経の深義(文底の義)なのだから、凡夫の我々が法華経を読めば直ぐに分かるように具体的には説いてないことなど当然です。

霊山において久成釈尊より教示を受けた上行菩薩の応現である大聖人の智眼叡智を通さなければ法華経に説いてあることを、やすやすと分かるはずなどありません。

「法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」との意味が分からないから「三大秘法の相貌を具体的に説いている経文を挙げろ」などと要求をするのでしょう。「文の底にしづめたり」とは、龍樹天親天台大師や大聖人の智眼でなければ把握が難しいと言うことです。

法華経の教相上に説かれている三大秘法

「末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く・・・爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、」(曾谷入道殿許御書1030)

とあるように、神力品の結要付属の文が「一大秘法としての妙法五字をといている文です。

『曾谷入道殿許御書』のこの文を挙げて説明すると、大石寺系は「妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄とは天台の言葉だから、大聖人弘通の妙法五字を指していない」などとメチャクチャな反論をしています。

大石寺系が「天台大師は迹面本裏の立場であり、大聖人は本面迹裏の立場」であると云う基本的知識を知らないから、そのようなメチャクチャな反論をしてくるのですね。

『曾谷入道殿許御書』で、一大秘法としての妙法五字を「名体宗用教の五重玄」と表現していますが、大聖人が本門に立脚(本面迹裏の立場)して把握したところの「名体宗用教の五重玄」です。天台大師が迹面本裏の立場から言う名体宗用教の五重玄の内容とは違うのです。

大聖人の智眼によれば法華経に一大秘法ないし三大秘法が説かれているのです。

『寿量品』には、「此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり乃至我今当に方便を設け此の薬を服せしむべし、乃至是の好き良薬を今留めて此に在く」(観心本尊抄251)

と言って、「良薬を作って留め置いて、使いを遣わして飲ませる」との文が有ります。大聖人は「使い」とは神力別付を受け末法弘通を依嘱された本化の菩薩の事と解釈し、「是好良薬」とは、神力品で結要付属されたところの「名体宗用教の南無妙法蓮華経」であると読み取られたのです。

「遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、」(観心本尊抄251)と有るとおりです。

一大秘法は寿量品の是好良薬の文と結要付属の文に明確に説かれているわけです。

『法華文句』に、色香味美の良薬を説明して「色とは戒を譬う。・・・香とは定を譬う。・・・味は慧を譬う。」(法華文句巻第九下)と戒・定・慧の三学に配当しています。戒・定・慧の三学は『四信五品抄』にも「今来の学者一同の御存知に云く『在世滅後異なりと雖も法華を修行するには必ず三学を具す一を欠いても成ぜず』云云。」とあるように、仏道修行の根幹は戒定慧の三学の実践であると言う考えが仏教の修行観です。

『御義口伝』にも「戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり」(御義口伝巻下760)ともありますが、大聖人は智眼をもって、色は戒壇(本門戒)、香を本門の本尊、味を本門の題目として一大秘法から開出し、戒定慧三学が具わった法華経の行法を実践できるようにしたと見て間違いありません。

また、大聖人は

「寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり秘す可し秘す可し」(義浄房御書892頁)

と、「一心欲見仏不惜身命」の文が、事の一念三千の三大秘法の依文であると述べています。

また、大曼荼羅御本尊の依文として、「御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり」(御義口伝巻下760)

「御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊及とは菩薩聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、」(御義口伝巻下757)

と、「如来秘密神通之力」の経文や「時に我れ及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず」の経文が大曼荼羅御本尊、本門事の一念三千の明文であると述べています。

だから、事の一念三千、三大秘法、大曼荼羅御本尊は大聖人の慧眼によれば法華経の文に明示されていたわけです。

大石寺系Bのように「妙法五字や三大秘法の相貌などは法華経の文には説かれていない。それらは釈迦がは説いたものでない」などと法華経・釈尊を蔑視するのは日寛の毒に目が回ってしまっているからだです。

大曼荼羅御本尊が法華経の教相を依文とされていることを、さらに述べておきましょう。

『観心本尊抄』の「四十五字法体段」と称されている

「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。」(観心本尊抄274)の文節は、久成釈尊証得の事の一念三千の境界(久成釈尊の悟りの世界)を表現しているということは周知のことです。

霊山虚空会で本門八品が説かれている時の霊山虚空会の光景そのものが、久成釈尊証得の事の一念三千の境界、本時の娑婆世界を表しているのです。

だから霊山虚空会の儀相を根拠にして大曼荼羅御本尊が図顕されたのです。大聖人の慧眼によれば、大曼荼羅御本尊の相貌は霊山虚空会の光景として法華経に示されていたのです。

また、事の一念三千の法門も法華経の経文に有ることを更に述べてみましょう。

『観心本尊抄』には、法華経の文を一つ一つ挙げて「経文分明に十界互具を説く」とあります。

寿量顕本によって「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」(開目抄197)とある通り、真の十界互具百界千如一念三千は法華経の文に明示されているのです。

しかし、いくら御書を提示しながら説明してやっても、日寛毒に当たっている大石寺系には解らないのでしょう。

また大石寺系は

「日興上人が『日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候』等と言っているのは、権実相対・本迹相対において言っているのであって、文底義に立った言葉でない。」

などと、とんでもないことを言います。

『観心本尊抄』は「さどの国より弟子どもに内内申す法門」であり「日蓮身に当たるの大事」を教示している重要御書である。その『観心本尊抄』にも、「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、・・・天台大師云く『是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし』妙楽云く『子父の法を弘む世界の益有り』、輔正記に云く『法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す』等云云。・・・我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」(観心本尊抄)

と教示しているね。それでも大石寺系Bは「観心本尊抄に『地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり』とあるのは方便説で文底の真実義ではない」などと言い張るのかね。この『観心本尊抄』の文の趣旨と、日興上人の『原殿ご返事』にある

「日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為めには釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候を」とか、また『報佐渡国講衆書』にある「しょほっしんの、しゃかほとけ(釈迦仏)」との趣旨とは同じだね。

大石寺系は、自説に都合が悪い文証を示されると「それは文上の解釈だ。権実相対・本迹相対において言われたもので文底真実ではない」とかいって、御書の教示を頭から否定するだけで、自説を証する御書も挙げられないのが実情です。

また、大石寺系は「日興上人の信徒宛の消息には、『聖人御影のご宝前に申し上げ候了』とか『仏にまいらせて候』とか『仏の御見参に申し入まいらせ候ぬ』とか『佛聖人の御座候座に』とあって、文底義に立って大聖人を仏であると尊崇していた。これが興師の真実義だ」と主張しています。

『宗学全書』の「日興上人御消息の部」においてには、

「久遠実成釈迦如来の金剛宝座なり。・・上行菩薩日蓮上人の御霊崛なり」(与波木井実長書・宗全2-169)

「日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為めには釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を」(原殿御返事・宗全2-173)

「しょほっしんの、しゃかほとけ(釈迦仏)」(報佐渡国講衆書・宗全2-178)

等とあり、また「述作の部」の、『三時弘教次第』に「付属の弟子は 上行菩薩 日蓮聖人」(宗全2-53)

とあり、また、日道上人述『御伝土代』には、日興上人の言い置きとして「日蓮聖人云わく、本地は寂光地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり。久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。

本門教主は久遠実成無作三身寿命無量阿僧祇劫常住不滅我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数の本仏なり」(宗全2ー254頁)等とあります。これらを文証として、日興上人は久遠実成釈尊を本仏とし、大聖人を久遠実成釈尊の弟子上行菩薩の応現と説示していたことが判ります。

日興上人の御影観

ところが、大石寺系は、日興上人信徒宛の他の消息類に、

「聖人御知見候了」

「御影の御見参に申し上げまいらせ候」

「聖人御影のご宝前に申し上げ候了」

「法華聖人のご宝前に申し上げ候了」

「法主聖人」

「御経日蓮聖人見参に申しまいらせ候ぬ」

「仏にまいらせて候」

「仏の御見参に申し入まいらせ候ぬ」

「佛聖人の御座候座に」

とあるのは、「日興上人が大聖人を本仏として奉安し仰いでいた文証である」と言い張ります。

しかし、

日興上人は大曼荼羅御本尊が本尊であると明言しているし、

「御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり」(富士一跡門徒存知事)と言って、大聖人像を本尊とする目的で造立したのでは無いことが分かるし、

また、『本門寺棟札』には

「一、日蓮聖人御御影堂

 一、本化垂迹天照大神宮

 一、法華本門寺根源   」

と記して有って、大聖人の御影は本堂でなく御御影堂に奉安すると書いてあるから、日興上人は大聖人御影を本尊としていなかったことが判ります。

日興上人は大曼荼羅御本尊が本尊である言っていること、「聖人御影の御宝前に」と表現していること、「御経日蓮聖人見参に」と表現していることより、推測するに日興上人は、大曼荼羅の前に祖師像と法華経を安置するご宝前を礼拝していたのでしょう。ですから、

「御影の御見参に」(宗全2-150)

「聖人御影の御宝前に」(宗全2-151)

とあっても、宗祖を本仏と拝していたとは云えません。

私どもが仏壇に何か供物を供えるさい、親や我が子の位牌がある場合、「母(或いは父)に供えさせて頂きます」とか、「○○ちゃん、どうぞ」と云う言葉が思わず出るものです。

日興上人は、御影を通して宗祖が常に見守ってくれていると確信し、師に対する給仕をつくされていたと思われます。大聖人を師と尊崇し強い給仕の想いから「聖人御影の御宝前に」との表現が自ずと言葉に出ていたのでしょう。

日興上人が「法主聖人の御神殿に」(宗全2-162)

と称しているのも、「真の法華の宗旨を始めた聖人」と云う趣旨の言葉でしょう。

「法華聖人の御宝前に」は、法華経弘通の聖人と云う意味でしょう。

「御経日蓮聖人見参に」とは、大曼荼羅の前に御御影、その前に法華経を安置していたので、「御経日蓮聖人見参に」と書かれたのだのでしょう。

「仏 聖人の御座候座に」とは、この「与由比氏書」の二行目に

「仏の御施餓鬼絶え候処に」とあって、精霊を仏と称しているから、「仏聖人」は「仏(精霊)と日蓮聖人の影現されている席」と云う意味と解釈すべきでしょう。あるいは「仏」の語意に「故人」の意があるから「故聖人」の意味とも解釈できます。

「曾根殿御返事」にも「又聖霊御具足法華聖人の御宝前」とあるが、この意味は「故人の聖霊が御具足している(現れている)日蓮聖人が照覧されている御宝前」と解釈すべきだと思われます。

古語辞典にも、「仏」の語意に「故人」の意があると解説しています。宗全2-181の「曾根殿御返事」の「仏にまいらせて候」は「精霊に供養した」と解釈できます。

宗全2-183の「曾根殿御返事」の「仏の御見参に」とあるのも、「精霊に供養した」と云う意味と解釈できます。

以上のように検討すると、大石寺系などが「日興上人は大聖人を本仏として祀っていた」と言う主張は成り立たないし、上に掲示した「与波木井実長書」(宗全2-169)、「原殿御返事」(宗全2-173)、「報佐渡国講衆書」(宗全2-178)、「三時弘教次第」(宗全2-53)、「御伝土代」に見える日興上人の本仏観や大聖人の「観心本尊抄」「開目抄」等の重要御書に教示の本仏観と整合しません。

(御書ページ数は学会版のものです)

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