占相についての仏典の見解

善き相者の居ることを認めている記述

『大宝積経第五十四』に、【時に光主王、国中の諸婆羅門の善き占相者を召集するに、皆悉く集まり已る。便ち王子を示し、其れをして之れを相せしむ。諸の婆羅門既に相を覩已って、便ち是の言を作す。今此の王子は当に仏に作るべし】(大宝積経第五十四菩薩蔵会第十二之二十大自在天授記品第十・国訳一切経国訳宝積部三・980頁)と有ります。

もし絶対的に占相を否定する意向であったら、「善き占相者」との表現とか、「王子が将来成仏する相」などと占相を肯定するような記述などしないはずです。善き占相師が存在することを認めている立場であったことが判ります。

また、『ブッタ・チャリタ(仏所行讃)』にも、

【ときに、林中に吉凶の相を知るバラモンたちあり、その身仕舞い、学殖、雄弁をもって世に聞こえていたが、彼らは(王子にまつわる)これらの兆(きざ)しを聞くに及んで、それらを吟味検討なした末、驚きと歓喜に満たされた。彼らは王が悦ぶ反面、いたく心配しているのを知って、王のもとにきたって、つぎのごとく語った。   

「この世にあっては、人はだれでもよい息子を得て、安堵したいと願っております。ところで、このあなたの光明たるご子息はまた、ご一族の光明として、末代までもお家に光あらしめるでありまししょう。したがってご案じになるには及びませぬ。否むしろ大いに悦んで、いますぐにでも祝宴をおはりなさいませ。        されば、ゆめご心配には及びませぬ。お悦びなさいませ。なんとなれば、ご一族の弥栄には疑いを容れませぬから。ここにあなたのご子息としてお生まれになったおかたは、この世の苦しみに喘いでいる人々を救い上げる一世の指導者なのであります。このおかたがその身にそなえておられるもろもろの徽や、黄金の彩り、さらには光明の輝きよりして、このおかたはさとりを開く聖者となられるか、あるいは人の世に転輪聖王となられるか、いずれかであります。】(ブッタ・チャリタ・中央公論社刊大乗仏典13・15頁)

との記述が有ります。ブッタ・チャリタの作者龍樹菩薩が占相を全く否定する立場であったなら、正確な占相者が居る事を示すような記述を省いたであろうと思います。

天台大師の『法華玄義巻第二上』に、

「譬へば、人未だ禍(わざわい)せざるに、否色已に彰(あら)われ、相師は覧別(みわ)けて、能く凶衰を記するがごとし。悪相若し起こらば、遠く泥黎(ないり)を表わす。凡夫は知らず、二乗は髣髴として知り、菩薩は知ること深からず、仏は知ること辺を尽くす。善き相師、洞(あき)らかに始終を見るが如し。」(菅野訳注・法華玄義上172頁)

との記述が有ります。能く凶衰を記する「善き相師」の存在を天台大師が認識していたことが判ります。

また、天台大師の伝記には、

【梁の晋安王、中兵参軍珍鍼は、すなわち智者の長兄なり。年は知命にあるとき、張果がこれを相するに、死は晦朔(めいさく)にあり。師は、方等懺を行ぜしむ。鍼は、天堂の牌門(はいもん=門の札)を見る。これはこれ陳鍼の堂、十五年を過ぎて、まさにこの地に生ずべし、と。遂に十五年の寿を延ばす。果は、後に鍼を見て驚きて問う。「君は、なんの薬を服するや」と。答う、「ただ懺を修せしのみ」と。果はいわく、「もしは道力にあらずんば、いずくんぞ能く死を超えんや」と。】(『随天台智者大師別伝』天台宗教聖典2-1289頁)との記録が伝えられています。

もしも、天台大師が占相を否定する立場であったとしたら、長兄の珍鍼に「仏徒は占相など認めてはならない、張果と云う占相師の予言など信じるな」と説得したであろうと思われます。天台大師は張果を善き相師と認識したからこそ、兄に方等懺を勧めたのでしょう。

ただし、天台大師の『菩薩戒義疏卷下』には、

「第二十九邪命自活戒。大論に云わく「貪心にて身口を発するを名づけて邪命と為す」と。文は七事を列す、例同するは皆犯にして、淨命に乖むくなり。事を序すに三階あり、一は悪心をもって利の為めにす、機を見て益物を益するを揀ぶ。二は七事を列す。三は非を挙げ過を結す。即ち是れ慈無き故に犯す。声聞の邪命に凡そ四食有り、方・仰・及び下等の四なり、此の中の五事は前の四食に通ず、一は販賣女色、二は手自作食、通じて道俗を制す、三は吉凶を相す、俗人如相を以て、自活すれば犯さず、道は一向に制す、四は呪術、五は工巧、六は調鷹の方法なり、此の三事(呪術・工巧・調鷹)は物に於いて侵すこと無く如法に自活する在家には制せず、出家は悉く断(た)つ。若し淨治救して希望すること無ければ犯となさず、出家にも亦た開す。」(試訓・原漢文は注8)

と有って、邪命自活とは、己の貪りを満たすために(悪心を以て)、「相手の根機を見て相手を益する事」をしないで、販賣女色などの七事のいずれかを行って収益を獲て生活する事が邪命自活であると語っています。そして、吉凶を占う事は、「道(出家)は一向に制されている」と説明しているので、占相を否定しているようですが、上掲の『法華玄義巻第二上』の文や、『随天台智者大師別伝』の記事を合わせて推測すると、自身の修道をおろそかにして、「己の貪りを満たすために(悪心を以て)」「相手の根機を見て相手を益する事をしないで」の占相的な行為は否定するが、善き相師が存在することは認めていたようです。

義寂述『菩薩戒本疏』 (大正大蔵経Vol. 40No. 1814 )には、

「若し仏子悪心を以て、故に利養の為め男女の色の販売、自手ら食を作り、自ら磨き自ら舂き、男女を占相し、夢の吉凶・是れは男是れは女と解し、呪術・工巧、鷹を調える方法、百種の毒薬・千種の毒薬・蛇毒・生金銀毒・蠱毒を和合するに都て慈心無く、孝順の心無くして、若し故に作さば軽垢罪を犯す。

此の下、二戒の戒同じきを弁ず。初めの戒は邪命を遮す、後の戒は邪業を遮す。浄命に違する故に制す。大小同じく制す。七衆倶に防ぐ。文の中、「悪心を以て、故(ことさら)に利食を為す」とは、見機益物の為めに非らざるなり。

「販賣男女色下」の下、凡そ十事を列らぬ、一に賣男女色、二に自手作食、三に自磨自舂、四に占相男女、五に解夢吉凶、六に呪術、七に工巧、八に調鷹方法、九に和合毒藥、十に蠱毒なり。初めの一と後の三は道俗倶に禁ず、第二(自手作食)第三(自磨自舂)は道を制し、俗を開す。第四(占相男女)第五(解夢吉凶)は、一は云はく道俗倶に制すと、一は云はく俗人は活命の為めに非らざれば犯ならず。第六(呪術)第七(工巧)は俗に於いては制せず、出家菩薩は若し活命の為めに非ず護身の為めなれば律に准じれば亦許すべし。」(試訓・原漢文は注9)

と有って、悪心を以て、故に利養の為めに行い、見機益物の為めに行うのでは無い、十種の邪活命を挙げ、そして、第四(占相男女)第五(解夢吉凶)については、道俗倶に制すと云う考えと、俗人は活命の為めに行うのでなければ犯す事にはならないとの二つの見解が有るとしています。占相が一概に否定されるべきものであったら「俗人は活命の為めに行うのでなければ犯す事にはならない」との見解も成り立ちません。

天台大師と義寂の説明から、己の利養を貪るためでなく、慈悲の心から、見機益物の為めに行い、かつ修道を妨げない占相ならば、一概に否定しないで、許容されていると解釈しなければ、上に引用した占相を容認している華厳経の文などとも整合できなくなります。

日蓮聖人も弘安二年九月の『四条金吾殿御返事』に

「又大進阿闍梨の死去の事末代のぎばいかでか此れにすぐべきと皆人舌をふり候なり、さにて候いけるやらん、三位房が事さう四郎が事此の事は宛も符契符契と申しあひて候、」(昭定1668頁)

と書しています。医薬に通じていた四条金吾殿は占相も出来たようで、大進阿闍梨の不慮死や三位房の死が四条金吾殿の予見通りであった事が分かります。日蓮聖人は四条金吾殿の占相を否定してないので、日蓮聖人は占相を全く否定すると云う考えでなかったと言えます。

占相を許容している経文

『佛説阿羅漢具德經』に、

「復た声聞有り、世法の中に於いて善く占相を解す、ミツリガシラヒッ芻(=ミツリガシラ僧侶)是れなり。・・・善く本心に達し、占相を悉しく能く知る」(私の試訓なので原漢文を注1に掲示します)

と有って、占相が出来る能力を徳として挙げています。

また、『テーラーガーター(長老の詩)』や『テーリーガーター(長老尼の詩)』によると、スガンダ長老・アンジャナー林に住む長老・シバァリ長老・チャンダー尼・バィジャヤー尼等々は「三種の明知に通達した」と語っています。「三種の明知」の一つが「天眼通(透視力)」ですから、透視力を具えた僧尼が居たことがわかります。

それらの僧尼達は信徒の相談に「天眼通(透視力)」の能力を発揮して予見や指導をしたであろうと想像できます。信徒は僧尼の占相的指導助言と受け止めたことでしょう。

原始仏典の『餓鬼事経』を和訳解説した藤本 晃訳著『死者たちの物語』の「壁の外」の項に釈尊の夢判断の一種と思われる話が有ります。ビンビサーラ王が釈尊と弟子達を招待布施を行った夜、夜どうし、恐ろしい呻き声で悩まされたビンビサーラ王は翌日釈尊に詣で夜中聞こえていた呻き声を報告し「私に何か起こるのでしょうか?」と尋ねると、釈尊が「あなたに悪いことが起きる知らせではない。なたには餓鬼に生まれた親族達がいる。その餓鬼たちが、昨日に布施供養を、あなたが回向してくれると期待していたのに、あなたは回向しなかった。そこで餓鬼たちは希望を断たれて、恐ろしい呻き声をあげていたのである」と答えたと有ります。

釈尊の知見による答えですがビンビサーラ王は釈尊の夢判断と受け止めたかも知れません。

『増一阿含経・巻第五十一』にも、波斯匿王が見た十種の夢が何を意味するのか釈尊に尋ね、釈尊が一つ一つの夢が意味するところを詳しく説いている経が記載されています。釈尊の行った夢の吉凶判断と言えます。(国訳一切経阿含部9・10ー909頁)

僧尼たちも在家仏徒の心配事などに天眼通を発揮して助言指導したことでしょう。

『増一阿含経・声聞品第二十八(国訳一切経阿含部八・329頁)』に、「星宿・医薬に明らかで、髑髏(どくろ)の音で、その髑髏の主の死の因縁や、男女の別や死後どの境遇に趣いたか」を知る能力を有する鹿頭梵士(ろくづぼんし)を釈尊が仏道に教導する様子が記されています。

鹿頭梵士が髑髏を観察し、たたいた音で、その人物の死の原因などを語ると釈尊が「是の如し、是の如し、汝の言ふ所の如し」と鹿頭梵士の判断が正確であると褒めています。

釈尊が鹿頭梵士の占相的な判断を容認されたと言えます。

『悲華經卷第二』に、

「一大臣有り、名を宝海と曰う。是れ梵志種にして善く占相を知る

(国訳一切経・経集部五ー22頁)

後に阿弥陀仏となる法蔵菩薩の父である宝海梵士の徳として「善く占相を知る」徳を挙げています。占相が肯定的に扱われています。

『金色王經』にも 

「彼の金色王は此の方便を以て法の如く国を治め、乃ち多年を経る。復た異時に於いて悪星の現ずること有り、応に十二年天は雨を降らさず、婆羅門の善く相を知る術、善く咒論を知る有り、太白等の衆星の行度を知る、既に悪星を見て占相し知り已って金色王を詣す、既に王所に到り具に王の為めに説いて、是のごとき言を作す、天今当に知るべし、悪星已に天に出でて祥ならず、応に十二年天雨を降らさずと、時に金色王是の語を聞き已って、悲しみ啼泣し涙し嗚呼と嗟歎す。」(試訓・原文は注2)

と有って、占相が肯定的に扱われています。

『仁王護國般若波羅蜜多經奉持品第七』には、

「復た次に難勝地菩薩摩訶薩、四無畏を以て真如に随順し、清淨平等にして差別相無し、小乗に随って涅槃を楽求するを断じ、諸の功徳を集め諸諦を観ず、此れ苦聖諦集滅道諦と、世俗勝義もて無量諦を観じ、衆生を利せんが為めに諸の技芸・文字・醫方・讃詠・戲笑・工巧・呪術・外道の異論を習う、吉凶を占相するに一として錯謬無し、但だ衆生に於いて損悩を為さず、利益の為めの故に咸悉く開示し、漸く無上菩提に安住せしむ、諸地中に出道障道を知り、八阿僧祇劫に於いて、常に三昧を修し諸行を開発す」(試訓・原漢文は注3)

と有って、衆生に損悩を与えないで衆生を利する為めの占相を肯定的に扱っています。

『小品般若波羅蜜經』にも

「復た次に須菩提よ、阿惟越致の菩薩は執金剛神が常に随って侍衞し、非人をして之に近らしめず、是の菩薩は心に狂乱無く、諸根具足して缺減する所無し、賢善行を修して不賢善に非ず、呪術・藥草を以て女人を引接せず、身に自ら為さずして亦他を教えず、是の菩薩は常に浄命を修し、吉凶を占せず亦た人の生男生女を相せず、是の如き事を皆之れを為さず、須菩提よ、是の相貌を以て当に是れ阿惟越致菩薩と知るべし、復た次に須菩提よ、阿惟越致の菩薩に復た相貌有り、今当に之れを説かん、須菩提よ、阿惟越致の菩薩は楽って世間雜事・官事・戰鬪事・寇賊事・城邑聚落事・象馬車乘・衣服飮食臥具事を説かず、楽って華香・女人婬女の事を説かず、楽って神龜の事を説かず、楽って大海の事を説かず、楽って他を悩ます事を説かず、楽って種種の事を説かず、但だ楽って般若波羅蜜を説き、常に薩婆若に応ずる心を離れず、闘訟を楽はず、心に常に法を楽しみ非法を楽しまず、善知識を楽い冤家を楽はず、諍訟を和するを楽い讒謗を楽はず、仏法の中に出家するを得るを楽い、常に他方の清淨佛國に生ぜんことを欲し、意に随って其の所生の所自在に常に諸仏を供養することを得、須菩提よ、阿惟越致の菩薩は多く欲界色界に於いて命終し、中国に來生し、善く技芸に於いて經書・呪術・占相を明解し、悉く能く了知す。少しく辺地に生ず、若し辺地に生ずども必ず大国に在り、是の如き功徳相貌あり。」(試訓・原漢文は注4)

と有って、阿惟越致菩薩(不退転の悟りに至った菩薩)の徳性をあげている中に、「善く技芸に於いて經書・呪術・占相を明解し、悉く能く了知す。」との徳性を得るであろうと語ってあって、占相を肯定的に扱っています。

『華厳経巻第二十五』には、

「菩薩は是の如く習修して、大神力と種種の因縁の方便道とを以て衆生を教化す。是の菩薩は種種の因縁もて方便すと雖も、心常に仏に在りて善根を失わず。又復常に勝れたる衆生を利益するの法を求む。是の菩薩は衆生を利益せんが故に、世の有ゆる経書、技芸、文章、算数、金石の諸性、病を治する医方、乾消、癩病、鬼著、蠱毒等。妓樂、歌舞、戲笑、歡娯、国土、城郭、聚楽、室宅、園林、池觀、華果、藥草、金銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、シャコ、瑪瑙、諸の宝聚を知り。日月五星、二十八宿、吉凶を占相すること、地動、夢怪、身中の諸相を示す。布施持戒もて其の心を攝伏し、禅定、神通、四無量心、四無色定、諸の衆生を安んじ、悩乱せざる事を知る。衆生を哀愍するが故に、此の如き法を出して諸仏の無上の法に入らしむ。」(昭和新纂華厳経第二・725頁)

と有り、続いて「世間を利せんが為めの故に、經書等を造立し、金石の性、醫方、歌舞戲笑の事、堂閣及び園林、衣服諸の飮食、

種種の寶聚を示し、衆をして歓喜を得せしめ、日月五星、及び二十八宿、地動、吉凶の相を占い、夢書、諸の怪事をしり、布施淨戒等、欲を離れ禅定を修し、四無量神通は、世間を安楽にせんが故なり、 大智慧の菩薩は此の難勝の地を得れば、萬億の佛を供養したてまつり、仏に従いて法を聞き、修する所の諸の善根は、皆な悉く明淨なることを得」(『華厳経巻第二十五』昭和新纂華厳経第二・730頁)

と有って、世間を利する為めの占相を容認しています。

『佛説像法決疑經』には、

「善男子、何の故に未來世中の一切の俗人、三宝を軽賤するや。正に比丘・比丘尼、不如法を以ての故に、身に法服を被(はお)れども、理を軽んじ俗に縁ず、或いは復た市肆にて販賣して自活す、或いは復た路を渉(わた)り商売して利を求む、或いは画師・工巧の業を作し、或いは男女や種種の吉凶を占相し、飮酒し醉乱歌舞し楽と作す、或いは圍碁六博し、或いは比丘の諂曲にして説法し以て人の意を求むる有り、或いは咒術を誦し以て他の病を治す、或いは復た禅を修すれども能く自ら一心になること能わずして、邪定法を以て吉凶を占覩す、或いは針灸・種種の湯藥を行い以て衣食を求む、是の因縁を以て諸の俗人をして敬重を生じせしめず。唯だ菩薩の衆生を利益するを除く」(試訓・原漢文は注5)

と、一般の人達が三宝を軽賤する原因として僧尼の悪しき行状を列挙してあり、その中に、邪定法に基づいた占相を悪しきものとして挙げていますが、「菩薩の衆生を利益するを除く」と言っているので、菩薩が衆生を助け正道に導くための占相は容認していると解釈できます。

『占察善惡業報經』には、

「是くの如き等の障難の事有らん者は、当に木輪相の法を用ひて善悪宿世の業、現在の苦楽吉凶等の事を占察すべし。縁合するが故に有り、縁尽きれば則ち滅す。業集は心に隨って相現じ果起る。失せす壊せず相応して差はず。是くの如く諦めて善悪業報を占し、自心を暁喩すれば所疑の事に於いて以って決了を取らん。若し佛弟子は、但、常に此くの如きの相法を学習し、至心に帰依すべし。所観の事、誠諦せざるは無けん。是くの如きの法を棄捨して返りて世間のト筮、種種の占相、吉凶等の事に隨逐して貪著し楽習すべからず。若し楽習する者は深く聖道を障ふ。」(国訳一切経集部十五・320頁)

と、世間のト筮、種種の占相、吉凶等を貪著し楽習してはいけないと説いていますが、苦楽吉凶等の事を占察できる木輪相と言う相法を学習すべきだと説いています。『占察善惡業報經』は中国に於いて作られた経との事ですが、「大周刊定衆経目録」以後は入蔵されているとの事です。『現代密教13号』掲載の遠藤純祐氏論文『占察善惡業報經の信仰』に於いて、『法華会義』の智旭が『占察経玄義』に「此の占察善惡業報經は乃ち迷いを指し悟りに帰すの要津なり、占察は能観の智、善惡業報は所観の境なり、一境三諦に非らずや、疑障を消除し浄信を堅固にし、進趣の方便を開示し、安慰して怯弱を離れしむ」と書して『占察善惡業報經』を重んじている事を言及しています。偽経であるにしても、仏教的相法を容認する立場の人たちが居たことが分かります。

占相を容認しない経文

占相を容認しない経文としては、

①『宝積経・広博仙人会第四十九』

「復次に、大仙、三十二種の不浄の施を、汝今諦に聴け。若(かくのごと)きは、復人あって、倒見にて施さば、浄施と名けず。報恩に因る者は、浄施と名けず。哀愍せざる者は、浄施と名けず。色欲の為めならば、浄施と名けず。若し火中に施さば、浄施と名けず。水中に擲たば、浄施と名けず。恐怖して施さば、浄施と名けず。王家に施さば、浄施と名けず。毒を以て施さば、浄施と名けず。刀杖を施さば、浄施と名けず。殺害して施さば、浄施と名けず。他を攝(おさ)めん為めの故ならば、浄施と名けず。称誉の為めならば、浄施と名けず。娼妓の為めならば、浄施と名けず。占相に因る者は、浄施と名けず。」(国訳一切経宝積部六367頁)

②『大般涅槃経』

「善男子、爾の時に復諸の沙門等有りて、生穀を貯聚し、魚肉を受取し、手自ら食を作し、油瓶・寶蓋・革シ(=履き物)を執持す。國王・大臣・長者に親近し、占相・星宿を(観)、醫道を勤修し、奴婢・金銀・琉璃・車渠・馬瑙・頗梨・眞珠・珊瑚・虎珀・璧玉・ 珂貝・種種の果ラ(=瓜)を畜養す。諸の伎藝・畫師泥作・造書教學・種植根栽・蠱道呪幻を学び、諸藥を和合し、倡伎樂を作し、香花身を治(しず)め、樗蒲・圍碁・諸の工巧を学ぶ。若し比丘の、能く是の如きの諸の悪事を離るる有る者は、当に『是の人は真に我が弟子』と説くべし。」(新国訳涅槃部一98頁)

③『大般涅槃経』

「爾の時に、如来は・・・波斯匿王に因みで説きて言わく、

〈比丘は、応に金銀・琉璃・頗梨・真珠・車渠・馬瑞・珊瑚・虎珀・珂貝・璧玉、奴婢・僕使・童男・童女、牛羊・象馬・驢騾・鶏猪・猫狗等の獣、銅鉄・釜?・大小の銅盤、種種の雑色の床敷臥具、資生に須うべき所の所謂る屋宅を受畜すべからず。田を耕して種植

え、販売し市易し、自手ら食を作り、自ら磨き自ら春き、身を治むるに呪術し、鷹を調らすに方法(てだて)し、仰ぎて星宿を観じ、盈虚を推歩し、男女を占相し、夢の吉凶、是男是女、非男非女と解す六十四能、復た十八の人を惑わす呪術、種種の工巧有り、或いは世間の無量の俗事を説き、散香・末香・塗香・薫香、種種の花鬘、治髪の方術、姦偽・諮曲・貪利に厭くこと無く、?閑を愛楽し、戯笑談説し、魚肉を貪嗜し、毒薬を和合し、香油を治圧し、宝蓋及以び革シを捉持し、扇箱篋の種種の画像を造り、穀米・大小の麦豆及び諸もろの菓?を積聚(たくわ)え、国王・王子・大臣及び諸もろの女人に親しみ近づきて、高声に大笑し、或いは復た黙然し、諸法の中に於て多く疑惑を生じ、長短好醜或いは善不善を多語し妄説し、

好みて好衣を著る、是くの如き種種の不浄の物を施主の前に於て躬自ら讃歎し、不浄の処たる所謂る沽酒・婬女・博奕に出入して遊行(あるきまわ)る、是くの如き人を我れは今、比丘の中に在るを聴さず。〉」(新国訳一・177頁)

④『 大般若波羅蜜多經卷第五百一十五(玄奘訳)』

T0220_.07.0630b15:   第三分不退相品第二十之二

「恒に大菩提心を遠離せず、恒に浄命を修して呪術・醫藥・占卜・諸の邪命の事を行ぜざれ、名利の為めに呪して諸鬼神を男女に著かしめ其れに吉凶を問はざれ、亦男女大小傍生鬼等を呪禁して希有の事を現ぜざれ、亦壽量の長短・財位・男女の諸の善惡の事を占相せざれ、亦た寒熱・豊倹・吉凶・好悪を懸記して有情を惑乱せざれ、亦た呪禁して湯藥を合和し左道に疾を療し好んで貴人と結ばざれ、亦た他に通じる為め使命を致し親友の相を現じ利を侚(もと)め名を求めざれ、尚を染心にて男女の戲笑するを觀視し与に語らざれ、況んや余のの事あらんや、亦た鬼神を恭敬供養なさざれ、是の故に我れ常に上士の為めに説き、下士の為めにせず、所以は何ん、是れ菩薩摩訶薩は一切法は性相皆な空なりと知り、性相空の中に相有るを見ず、相を見ざる故に種種の邪命・呪術・醫藥・占相を遠離して、唯だ無上正等菩提を求め、諸の有情の与に常に饒益を作す」(試訓・原漢文は注6)

⑤『遺教経』

「汝等比丘、我が滅後に於いて、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すること、闇に明に遇ひ、貧人の宝を得たる如くすべし。当に知るべし、此れ則ち是れ汝等が大師なり。若し我れ世に住すとも、此れに異なること無けん。浄戒を持たん者は販賣貿易し、田宅を安置し、人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財寶、皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし。草木を斬伐し、土を耕し地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰觀し、盈虚を推歩し、暦數算計することを得ざれ、皆応ぜざる所なり」(大般涅槃経昭和新纂二・1頁)

⑥『佛所行讃』〔経文ではないですが引用します〕

「当に身口を浄くし、諸の治生業を離るべし、田宅もて衆生を蓄え、財及び五穀を積む、一切当に遠離すべきこと、大火坑を避くる如くすべし、土を墾し草木を栽り、医もて諸病を療治し、仰いで暦数を観じ、吉凶の象を歩推し、利害を占相す、此れ悉く応に為すべからず、身を節し時に随って食し、使を受くるも術を行ぜず、湯薬を合和せず、諸の諂曲を遠離し、順法資生の具は、応に量を知って受くべし、受くれば則ち積聚せず、是れ則ち略して戒を説く」(国訳昭和新纂246頁)

等の①~⑥の文は占相を全面否定しているかのようです。

次に挙げる経文は、条件付けで否定しているかのような経文です。⑦『大乘大集地藏十輪經卷第四。』

「好んで外典を習い、種植して農を営み、宝物を蔵貯し、園宅・妻妾男女を守護し、符印・呪術・使鬼を習行し、吉凶を占相し、湯藥を合和して病を療して財を求め、以て自ら活命す。飮食・衣服・寶飾を貪著して、勤めて俗務を營み、尸羅を毀犯して諸の悪法を行じ、貝音し、狗行す。実に沙門に非ずして自ら沙門と称し、実には梵行に非ずして自ら梵行と称す」(国訳一切経大集部五74頁)

⑧『梵網經盧舍那佛説菩薩心地・戒品第十卷下』

「若し仏子にして、悪心を以ての故に、利養の為め故(ことさら)に男女の色を販売し、自の手にて食を作り、自ら磨り自ら春き、男女を占相し、夢の吉凶を解して、是れは男、是れは女とす。呪術し、工巧し、鷹を調える方法を為す。、百種の毒薬、千種の毒薬、蛇毒、生金銀毒、蠱毒を和合せん。都て慈心無くして若し、故(ことさら)に作す者は輕垢罪を犯す」(試訓・原漢文は注7)

⑦の経文は、「財を求め、以て自ら活命するために占相してはならない。」

⑧の経文は、「悪心を以ての故に、利養の為めに殊更に占相してはならない。慈心無くして殊更に占相をしてはならない。」

等の趣旨が見て取れます。

聖典刊行会『模範仏教辞典』には「四邪命食」を、

「四種の不正なる生活法をいふ。1下口食。田園を耕作し湯薬を調合し生活すること。2仰口食。天文学を究めて之れを以て生活すること。3方口食。富豪に媚び、巧言令色其の意を迎へて収入を豊かにし生活すること。4維口食。呪術又は卜算を学び人の吉凶を占い生活すること。比丘は元来乞食生活を本義とするから他の生活法を邪活命といふ。」(437頁)と説明しています。

仏教では僧尼は本来、いわゆる三衣一鉢、托鉢乞食の生活を為し、世務を離れて修行を主にした生活をすべきとされていたので、呪術や占相をもっぱらにして生活の糧を得ようとすると、自己の修行がおろそかになってしまうので、占相呪術で生活することを邪活命として強く禁じたと認識すべきです。

一概に占相を禁じたと解釈してしまうと、占相を容認する上掲の経と整合性がつかなくなります。

注1,復有聲聞於世法中善解占相。蜜哩ガ尸ラヒッ芻是・・・善達於本心占相悉能知(大正新脩大正藏經 Vol. 2, No. 126

注2,彼金色王以此方便。如法治國乃經

T0162_.03.0388c04: 多年

T0162_.03.0388c05: 復於異時有惡星現。應十二年天不降雨。有

T0162_.03.0388c06: 婆羅門善知相術。善知咒論。知太白等衆星

T0162_.03.0388c07: 行度。既見惡星占相知已詣金色王。既到王

T0162_.03.0388c08: 所具爲王説。作如是言。天今當知。惡星已

T0162_.03.0388c09: 出於天不祥。應十二年天不降雨

T0162_.03.0388c10: 時金色王聞是語已。悲啼泣涙嗚呼嗟歎。

(大正蔵 in Vol. 03No. 0162 瞿曇般若流支譯 )

注3,復次難勝地菩薩摩訶薩。以四無畏隨順眞

T0246_.08.0842a13: 如。清淨平等無差別相。斷隨小乘樂求涅槃。

T0246_.08.0842a14: 集諸功徳具觀諸諦。此苦聖諦集滅道諦。世

T0246_.08.0842a15: 俗勝義觀無量諦。爲利衆生習諸技藝。文字

T0246_.08.0842a16: 醫方讃詠戲笑。工巧呪術外道異論。吉凶占

T0246_.08.0842a17: 相一無錯謬。但於衆生不爲損惱。爲利益故

T0246_.08.0842a18: 咸悉開示。漸令安住無上菩提。知諸地中出

T0246_.08.0842a19: 道障道。於八阿僧祇劫。常修三昧開發諸

T0246_.08.0842a20: 行。

注4,復次須菩提。阿惟越

T0227_.08.0565a25: 致菩薩執金剛神常隨侍衞。不令非人近之。

T0227_.08.0565a26: 是菩薩心無狂亂。諸根具足無所缺減。修賢

T0227_.08.0565a27: 善行8非不賢善。不以呪術藥草引接女人。身

T0227_.08.0565a28: 不自爲亦不教他。是菩薩常修淨命。不占吉

T0227_.08.0565a29: 凶亦不相人生男生女。如是等事皆不爲之。

T0227_.08.0565b01: 須菩提。以是相貌當知是阿惟越致菩薩。復

T0227_.08.0565b02: 次須菩提。阿惟越致菩薩復有相貌。今當説

T0227_.08.0565b03: 之。須菩提。阿惟越致菩薩。不樂説世間雜事

T0227_.08.0565b04: 官事戰鬪事寇賊事城邑聚落事象馬車乘衣

T0227_.08.0565b05: 服飮食臥具事。不樂説華香女人婬女事。不

T0227_.08.0565b06: 樂説神龜事。不樂説大海事。不樂説惱他事。

T0227_.08.0565b07: 不樂説種種事。但樂説般若波羅蜜。常不離

T0227_.08.0565b08: 應薩婆若心。不樂鬪訟。心常樂於法不樂非

T0227_.08.0565b09: 法。樂善知識不樂10冤家。樂和諍訟不樂讒謗。

T0227_.08.0565b10: 樂佛法中而得出家。常樂欲生他方清淨佛

T0227_.08.0565b11: 國。隨意自在。其所生處常得供養諸佛。須菩

T0227_.08.0565b12: 提。阿惟越致菩薩多於欲界色界命終。來生

T0227_.08.0565b13: 中國。善於11伎藝。明解經書呪術占相。悉能

T0227_.08.0565b14: 了知。少生邊地。若生邊地必在大國。有如是

T0227_.08.0565b15: 功徳相貌。當知是阿惟越致菩薩。

注5,善男子。何故未來世中一

T2870_.85.1337b28: 切俗人輕賤三寶。正以比丘比丘18尼不如法

T2870_.85.1337b29: 故。身被法服輕理俗縁。或復市肆販賣自

T2870_.85.1337c01: 活。或復渉路商20賈求利。或作畫師工巧之

T2870_.85.1337c02: 業。或占相男女種種吉凶。飮酒醉亂歌舞作

T2870_.85.1337c03: 樂。或圍碁六博。或有比丘諂曲説法以求人

T2870_.85.1337c04: 意。或誦咒術以治他病。或復修禪不能自一

T2870_.85.1337c05: 心。以邪定法占覩吉凶。或行針灸種種湯

T2870_.85.1337c06: 藥以求衣食。以是因縁令諸俗人不生敬重。

T2870_.85.1337c07: 唯除菩薩利益衆生。

注6,恒不遠離大菩提心。恒修淨命不行

T0220_.07.0632a05: 呪術醫藥占卜諸邪命事。不爲名利呪諸鬼

T0220_.07.0632a06: 神令著男女問其凶吉。亦不呪禁男女大小

T0220_.07.0632a07: 傍生鬼等現希有事。亦不占相壽量長短財

T0220_.07.0632a08: 位男女諸善惡事。亦不懸記寒熱豐儉吉凶

T0220_.07.0632a09: 好惡惑亂有情。亦不呪禁合和湯藥左道療

T0220_.07.0632a10: 疾結好貴人。亦不爲他通致使命現親友相

T0220_.07.0632a11: 徇利求名。尚不染心觀視男女戲笑與語。況

T0220_.07.0632a12: 有餘事。亦不恭敬供養鬼神。是故我説常爲

T0220_.07.0632a13: 上士不爲下士。所以者何。是菩薩摩訶薩知

T0220_.07.0632a14: 一切法性相皆空。性相空中不見有相。不見相

T0220_.07.0632a15: 故遠離種種邪命呪術醫藥占相。唯求無上

T0220_.07.0632a16: 正等菩提。與諸有情常作饒益。

注7,T1484_.24.1003b08: 戒品第十卷下

T1484_.24.1007a23: 若佛子。以惡心故爲利養14故。販賣男女

T1484_.24.1007a24: 色。自手作食自磨自舂。占相男女。解夢吉

T1484_.24.1007a25: 凶。是男是女。呪術工巧調鷹方法。和15合百

T1484_.24.1007a26: 種毒藥千種毒藥蛇毒生金16銀蠱毒。都無

T1484_.24.1007a27: 17慈心。18若故作者。犯輕垢罪。

注8,第二十九邪命

T1811_.40.0577c26: 自活戒。大論云。貪心發身口名爲邪命。文列

T1811_.40.0577c27: 七事例同者皆犯。乖淨命也。序事三階。一惡

T1811_.40.0577c28: 心爲利揀見機益物。二列七事。三擧非結

T1811_.40.0577c29: 過。即是無慈故犯。聲聞邪命凡有四食。方仰

T1811_.40.0578a01: 及下等四。此中五事通前四食。一販賣女色。

T1811_.40.0578a02: 二手自作食通制道俗。三相吉凶俗人如相

T1811_.40.0578a03: 以自活不犯道一向制。四呪術。五工巧。六調

T1811_.40.0578a04: 2鷹方法。此三事於物。無侵如法自活。在家

T1811_.40.0578a05: 不制出家悉斷。若淨治救無所希望不犯出

T1811_.40.0578a06: 家亦開。七和合藥毒殺人犯罪。

注9,T1814_.40.0680a29: 第九不作邪命戒

T1814_.40.0680b01: 若佛子以惡心故爲利養販賣男女色自手作

T1814_.40.0680b02: 食自磨自舂占相男女解夢吉凶是男是女呪

T1814_.40.0680b03: 術工巧調醫方法和合百種毒藥千種毒藥蛇

T1814_.40.0680b04: 毒生金銀毒蠱毒都無慈心無孝順心若故作

T1814_.40.0680b05: 者犯輕垢罪 此下二戒辨戒同也。初戒遮

T1814_.40.0680b06: 邪命。後戒遮邪業。違淨命故制。大小同制。

T1814_.40.0680b07: 七衆倶防。文中以惡心故爲利食者。非爲見

T1814_.40.0680b08: 機益物也。販賣男女色下凡列十事。一賣男

T1814_.40.0680b09: 女色。二自手作食。三自磨自舂。四占相男女。

T1814_.40.0680b10: 五解夢吉凶。六呪術。七工巧。八調鷹方法。九

T1814_.40.0680b11: 和合毒藥。十蠱毒。此十事中。初一後三道俗

T1814_.40.0680b12: 倶禁。第二第三制道開俗。第四第五一云。道

T1814_.40.0680b13: 俗倶制。一云。俗人非爲活命者不犯。第六

T1814_.40.0680b14: 第七於俗不制。出家菩薩若非活命爲護身

T1814_.40.0680b15: 者。准律亦應許也。(菩薩戒本疏卷下之本)

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