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無量義経は偽経か?
真宗系コンテンツで、
【「無量義経」には「道場菩提樹下に端座すること六年」を始めとして五点ほど不審な記述が有るので、中国で作成された偽経の疑いが濃いと萩原雲来博士も見なしている。また、仏は35歳成道ならば、成道後42年は75歳ということになり、75歳から8年間法華経を説いたと云うと、仏は83歳まで生存した計算になる。故に「無量義経」の「四十余年未顕真実」の経文は根拠にならない】と講じています。
しかし、インド撰述と見る学者もいるのです。
三友健容立正大学教授の論文(https://toyoda.tv/muryogikyo.india.htm)は、萩原博士や横超博士の無量義経中国製作説の根拠を評論し、結論として【『無量義経』はインド撰述であると断定することができる。『法華経』と対になるように『法華経』成立後に撰述されたものと見られるし、『法華経』の序説的立場の経として撰述されたのであろう】と論じています。
三友教授の論証の一例を挙げますと、「道場菩提樹下に端座すること六年」との記述は【『無量義経』制作者が当時のインド仏教徒間に伝えられていた「菩提樹下端坐六年」を踏襲したのであろう】と述べています。
真宗系コンテンツのように『無量義経』の「四十余年未顕真実」を文証として認めなくとも、『法華経方便品』には、「四十余年未顕真実」と同義である「世尊は法久しうして後、要ず当に真実を説きたもうべし(中略)仏方便力を以て 示すに三乗の教えを以てす 衆生処処の著 之れを引いて出ずることを得せしめんとなり」との経句が有ります。
この経句の「仏方便力を以て 示すに三乗の教えを以てす」について天台大師は「三乗は皆是れ虚偽なりと斥う」と注釈し、「衆生処処の著之れを引いて出ずることを得せしめんとなり」については「是れ権に引いて諸苦を離れしむるが故なり。真実と為すに非ず。但だ是れ方便門のみ」と注釈しています。
天台大師の注釈に従えば「世尊は法久しうして後、要ず当に真実を説きたもうべし」は「長い期間に渡って声聞縁覚や菩薩行を説いた一般大乗経を説いて来たが、それらは方便の教えであって真実の教えではない。如来は、方便の教えを以て教導した後に必ず真実の教えを説くのである」との意味です。
このように方便品にも「法華経は真実経、諸経は方便教すなわち未だ真実を説いていない経」との意趣が説かれているのです。
「真実教と不真実教がある」との『無量義経』の指摘は『方便品』の指摘と一致しているのです。
伝教大師が『註無量義経』に「但だ随他の五種性等門外の方便、差別の権経、帯権の一乗を説きて、未だ随自一仏乗等、露地真実、平等の直道、捨権の一乗を顕さず。是の故に説きて〔以方便力四十余年未顕真実〕と云うなり。〔是故衆生得道差別〕と云うは、未だ直道の真実甚深一大事因縁を顕さず、是の故に諸乗の得道差別あり。〔疾く無上菩提を成ずることを得ず〕と云うは、未だ直道一乗の海路を解せず、未だ純円六度の固船に乗らず、未だ実相方便の順風を得ず、是の故に横に三乗の嶮路に道き歴劫留難多き処を歩行して妄想夢裏の大河に勤苦す、故に説きて〔不得疾成無上菩提〕と云う」(註無量義経巻第二。伝教大師全集巻三625頁)
と注釈しています。一般の人には用語が難解ですが、この注釈からも『無量義経』が『法華経』の教理思想に裏打ちされた経典であることがわかります。
もしも『無量義経』が中国で創作されて偽経であるとしても、法華経など他の主要経典の教理思想と齟齬が無ければ重要経典として扱うべきでしょう。
ですから、「中国製作の偽経である『無量義経』の〔四十余年未顕真実〕の経文などは、文証としての価値がない」などと一蹴し得たと思うのは、極めて短絡的な考えと云えましょう。
法華経説法年齢の算定
真宗系コンテンツでは【仏は35歳成道ならば、成道後42年は75歳ということになり、75歳から8年間法華経を説いたと云うと、仏は83歳まで生存した計算になる。故に「無量義経」の「四十余年未顕真実」の経文は根拠にならない】と批判しています。
しかし、仏典には、「19歳出家30成道」と「29歳出家35成道」との二説が有りまさう。
『法華玄賛(国訳一切経・554頁)』では「19歳出家説」の仏典として『本起因果経』『思惟無相三昧経』『大智度論』を挙げ、「29歳出家説」を採る仏典として「増一阿含・中阿含・雑阿含・出曜教・和須密論」、35成道説として「悲華経・善見論」を挙げています。
『無量義経』が「19歳出家30成道説」に立って撰述された経ならば、「29歳出家35成道説」を根拠にして【仏は83歳まで生存した計算になる。故に「無量義経」の「四十余年未顕真実」の経文は根拠にならない】との批判は的外れと云うことに成りましょう。
さて仮に、『無量義経』が「29歳出家35成道説」を採っているならば、「四十余年」の「余年」を「数ヶ月」と仮定すると、『無量義経』は「釈尊75歳数ヶ月までの説法は真実を顕していない」と表明していることになり、計算上、法華経説法は80歳までの5年間と云うことになりましょう。
ところで、『無量義経』や『法華経』は経文上、法華経説法の期間を八年間と確定していないので、【仏は83歳まで生存した計算になる。】との批判は的外れと云うことに成りましょう。
法華経『涌出品』に、「是れより已来始めて四十余年を過ぎたり」と有って、成道後四十余年に法華経説法が行われた事になっています。仮に四十余年を「40と数ヶ月頃」とした場合、30歳成道説だと、30+40と数ヶ月で、70歳と数ヶ月頃、法華経説法が始まっていたという事になります。
法華玄賛』には、『涌出品』の「四十余年を過ぎたり」の句について、
【真諦三蔵及び和上の西域記等は並びに二十九出家三十五成道を説き、金光明経には佛寿八十と説く。今は成道して四十余年を過ぐと言へぱ即ち年七十有五なり。初の成道の年と並に合して四十一年なれば過四十と名づくるなり。】(妙法蓮華経玄賛・国訳一切経554頁)
と算定しています。
五時判に関して。
天台教学では「五時頌」と云って、
「華厳最初三七日,阿含十二方等八,二十二年般若談,法華涅槃共七年(或云共八載)」と云う成語が有ります。この成句は30歳成道説に立っています。
「五時頌」では、華厳・阿含・方等・般若の説法年数の合計は72年で、入滅80歳まで8年残りがあるので法華涅槃の説法は8年間と割り当てられたのでしょう。
天台大師は、
「今仏は霊山に八年説法したまふ」(法華玄義巻七上・国訳一切経258頁)
「相伝に云く、仏年七十二歳にして、法華経を説きたまふと云云。」(法華玄義巻五上・国訳一切経176頁)
とあるので、30歳成道説を採用しているようです。
ただし、妙楽大師が「法界性論は仏説ではないので相伝に依ればと、ことわっているのある(取意)」(天台大師全集法華玄義三・523頁)
と注釈しています。
『法界性論』は存在不明だそうですが、宝地房証真は『玄義私記』に
【法界性論の『三十五成道。四十二年の中に諸の衆生を教化し、十二年阿含。三十年般若』との年数によれば、77歳からの3年間に法華経を説いた計算になる。ところが『法界性論』には「八年法華を説く云々」とあるのは恐らく三十成道の説によるのであろう(取意)】との旨を注記しています。(天台大師全集法華玄義三・523頁)
天台教学では、「別の五時判」に拘泥する事を嫌っています。
崔 箕 杓氏が論文『天台五時教判の根拠と意味』
(https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf)
に於いて、
【智旭は『教観綱宗』において、「五時頌」のように説法の期間を限定することは「弊害の大きい妄説」であると批判している。】
と指摘しています。
智旭は『法華玄義』の「別の五時判の立場では説法の時期に限りが有る。通の五時判に立てば、各経典説法の時期は限定されない(取意)」との文と、章安大師の「阿含経も第二時の12年間の内だけでの説法で無く、仏の入滅に至るまで間、説く必要有る時には説法したのであるから、阿含経は12年の内だけの説法などとは云えない(取意)」(天台宗教聖典Ⅳ・718頁)との文を提示し、
【論じていわく。智者と章安の明文は、かくのごとし。今の人、絶えて寓目(注目)せず。なお、自ら阿含十二、方等八の妄説を訛伝(あやまりつたえる)す。害をなすことはなはだ大なり。】(天台宗教聖典Ⅳ・719頁)
と、説法の時節を固定的に定める事を批判しています。
また、「通の五時判から云えば、成道直後の三七日間の内だけで無く、それ以後の時にも、華厳を聴く大機の者が居れば華厳経は説かれたのである。華厳の入法界品がその例である。断じて三七日のなかに在るにあらず。(中略)痴人、なんぞなお迷執するや。(取意)】(天台宗教聖典Ⅳ・719頁)
と「通の五時判」を忘却してはならないことを注意しています。
華厳の入法界品は成道後21日間の説法ではないけれど、華厳法門なので華厳部に入れられているのです。
真宗系のコンテンツが「まだ仏弟子に成っていなかった舎利弗や目連尊者が華厳経入法界品に登場している。だから華厳経が成道後直ぐの説法だとする五時判は依用するに足らない」と主張していますが、「通の五時判」の立場から云えば、『入法界品』は舎利弗や目連尊者が仏弟子に成った以後に、説法された華厳法門と云うことになります。ですから真宗系コンテンツの講師の主張は全く的外れなのです。
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