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真宗系のコンテンツ「法華経ミステリー・念仏無間は本当?」に於いて講者が
【「大無量寿経下巻」に「当来の世に、経道滅尽せんに、特に此の経を留めて止住すること百歳せん」とある。百歳とは「満数・・・無眼」で「永久に留まる」の意味である】と述べています。
しかし、『大無量寿経』の別訳本によると、「永久に留まる」の意味では無く、文字通り、仏滅後1100年で断絶するとの意味です。
はたして「百歳は満数で無眼を意味する」との経証が有るのでしょうか。
日蓮宗の観妙日存師が『金山鈔』において、『大無量寿経』の別訳である支婁迦讖訳『佛説無量清淨平等覺經卷第四』の
「我般泥洹去後。經道留止千歳。千歳後經道斷絶。[+我皆慈哀特留是経法止住百歳百歳中竟乃休止絶(元・明)]」(大正蔵巻12・299頁 )
(われ般泥洹し去って後、 経道留止すること千歳なり。 千歳の後 経道断絶せん。我れ皆な慈哀して特に是の経法を留む。止住すること百歳、百歳の中に竟って乃ち休止し絶す )
との文と、同じく別訳の『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛壇過度人道經』の「我般泥洹去後。經道留止千歳。千歳後經道斷絶。我皆慈哀。持留是經法。止住百歳。百歳中竟。乃休止斷絶。在心所願皆可得道。」(われ般泥洹し去って後ち、 経道留止すること千歳なり。 千歳の後ち、 経道断絶せん。 われみな慈哀して、 特にこの経法を留めて止住すること百歳せん。 百歳の中に竟ってすなはち休止し断絶せん。 )
( 大正蔵巻12・317頁・支謙訳)
との、別訳二本の文を挙げ「大無量寿経は、仏滅千年過ぎの百年間は留まるとの文意と理解すべきで有る」との旨を論じています。
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