中国天台の智円の般若心経釈の訓読

 

中華電子仏典協会のHPよりダウンロードしたものです。

特に訓読に自信ない箇所は茶色にしました。訓読の誤りにお気づき

なりましたらお教えねがいます。

 

般若心経疏并に序

弧山沙門 釈 智円 述。

  夫至道無名非名無以詮其道真空無無以識其空繇是名於無名於無既機分利鈍之別故教有詳略之殊譬諸各結筌蹄意在同獲魚兔若乃了達名無名則二十萬頌之非多一十四行之非少然則圓音既演雅誥爰陳相彼此之異宜實本末而相攝彼則毛目委示此則綱領總陳是故廣之不為煩略之不為寡二途相捊一味同歸至若蕩滌群疑開濟正理豈止見色空之不二抑亦知生佛以元同無前後可以迎隨豈心口所能思議杳然無朕寂爾相苦厄不度而度菩提不得而得可謂反本之要道破迷之前陳焉敢卛台崖教門龍樹宗趣輙成義疏用廣發揮庶貽厥孫謀俾虗室生白者矣

 

夫れ至道は名無くして名無きに非ず。其れ道を詮ずるを以て、真空は無説にして説無きに非ず。以て其れ空を識る。

是れに繇(より)て、無名に於いて無説を説くと名づく。

既に機に利鈍の別を分く。故に教に詳略の殊なり有り。諸(これ)各(おのおの)に筌蹄を結ぶ意は同じく魚兎を獲るに在るに譬う。

若し、説、無説を了し、名に名無きに達せば、則ち二十万頌の多きに非ず、一十四行の少なきに非ず。

然れば則ち円音既に雅誥を演べ、相の彼此の異を陳ぶ。宜しく実に本末相摂す。彼は則ち毛目を委しく示し、此れは則ち綱領にして総じて陳ぶ。

是の故に広きの煩を為さず、略の寡を為さず。二途、相捊(あいふ)して一味し同じく至に帰す。群疑を蕩滌(とうでき)し正理を開済するが若し。豈に止だ色空の不二を見るのみならんや。抑(そもそ)も亦、生仏は元同じきを以て前後無きを知る。以て仰随すべし。豈に心口の能く思議する所ならんや。杳然として朕(きざし)無く、寂爾として相を絶す。苦厄を度せずしてしかも度し、菩提を得ずして而も得。本に返るの要道、迷いを破するの前陳と謂うつべし。

敢えて台崖の教門、龍樹の宗趣を卛(ひきい)て輙(すなわ)ち義を成じ、疏を用いて広く発揮す。庶(こいねがわく)はその孫謀を貽(のこ)し。虗室をして白者を生ぜしめん。

 

 

(経)般若波羅蜜多心經

  釋經為二一釋題二釋文初又二一總二別總又二一列名二引證列名者此經法為名蘊空為體圓照為宗度苦為用大乘為教引證者經云行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄既云五蘊皆空空即所照之境故知蘊空為體既云行深般若則簡異偏淺故以圓照為宗既云度一切苦厄此即智冥於境能破二死故以度苦為用名教可知別釋為五一名者諸經皆有通別二名應以三義往簡謂教行理各有通別(字闕)理有通別故教有通別攬教為名名亦通別以三簡之旨在此矣教者詮辯各異故別同出金口故通行者四門趣入故別同歸一理故通理者異名召理故別理本無名故通今經約教則詮辯般若約行則多在空門約理則以蘊空立稱別名為二一法二就法又二一別二通般若是別名異諸法故波羅蜜多是通名檀等同名故般若此翻智慧而有三種一實相謂所觀真理即經云諸法空相二觀照謂能觀妙慧即經云依般若故心無罣礙三文字謂詮二之教即觀自在對告身子顯蜜之此經正觀照以彰名問般若云智慧理教何得名邪答理能發慧教能詮慧故得相從悉名般若二通名波羅蜜多此云到彼岸即由妙慧從生死此岸越煩惱中流到涅槃彼岸也二心謂肉團心此之略統攝群言譬方寸之心於五藏中要也通名經者訓法訓常法乃群機所軌常則百世不易二體體謂主質蘊空為一經之主質也經家標行既云照見五蘊皆空至菩薩正還以蘊空為始由達蘊空乃知諸法空也而此真空竪該因果以一切賢聖皆以無為法而有差別故橫攝眾教以般若是一法佛種種名故空非橫竪而遍橫竪問此觀蘊空與小何別答二乘析破方空今即蘊是空若爾與通豈異答通觀即空空不具法而此圓空具足諸法不動自性蘊空是真具法是俗不動是中雖觀即空三諦具足尚不與別次第同況藏通乎是故四教俱得蘊空但近巧拙具法不具法之異耳或云二乘得人空菩薩證法空者乃與奪而言三宗此經圓照為宗實三觀圓修


 

而正以空中破著菩薩以無所得心而證分果如來以無所得心而證極果故以圓照為宗四用以修般若故能度分段變易二死之苦得菩提涅槃二果之樂是經力用也五教即第四熟蘇味教此經四譯一秦羅什譯名摩訶般若波羅蜜大明呪經二唐玄奘譯名般若波羅蜜多心經三般若譯立題與奘師同四法月譯於題上更加普遍智藏四字此二譯皆有序及流通今釋第二本此對利根菩薩略般若也大論明佛經通四人謂弟子仙人諸天化人觀自在是弟子也處即靈鷲山雖部談三教而今經唯圓釋題竟。

 

 

経を釈するに二と為す。

一は、釈題。

二は、釈文なり。

初めに又、二。一に総、二に別なり。

総にまた二。

一に、名を列す。

二に、引証なり。

列名とは、此の経は法喩を名と為し、蘊空を体と為し、円照を宗と為し、度苦を用と為し、大乗を教と為す。

 

引証とは、経に「行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄」と云う。空は即ち所照の境なる故に蘊空を体と為すことを知る。

既に「行深般若」と云う、則ち偏浅と簡異する故に円照を以て宗と為す。

既に「度一切苦厄」と云う。此れ即ち智は境に冥し、能く二死を破する故に「度苦」を以て用と為す。教と名づくるは知んべし。

 

別釈を五と為す。

一、名は諸経に皆通別有り。

二名は三義を以て往いて簡すべし。教行理を謂う。各おの通別(字闕)有り。理に通別有る故に教に通別有り。教を攬って名と為す。名に亦、通別あり。三を以て簡ぶの旨、此に在り。

 

教は、詮弁すること各々異なる故に別。同じく金口より出す故に通なり。

 

行は、四門に趣き入る故に別。同じく一理に帰す故に通なり。

 

理は、異名、理を召すに別なり。理、本(もと)無名の故に通なり。

 

今経は教に約せば則ち般若を詮弁し、行に約せば則ち多くは空門に在り。理に約せば則ち蘊空を以て称を立つ。

 

別名は二と為す。

一、法。

二、喩。

法に就いては又二。一、別。二、通なり。

般若は是れ別名なり、諸法と異なる故に。

波羅蜜多は是れ通名なり。檀等と同名の故に。

般若は此には智慧と翻ず。而も三種有り。

一、実相。所観の真理を謂う。経に云く「諸法空相」と。

二、観照。能観の妙慧を謂う。即ち経に「般若に依る故に心に罣礙無し」と云う。

三、文字。謂く二の教を詮す。即ち観自在、身子に顕密の説を対告す。此の経は観照を正として、以て名を彰(あらわ)す。

 

問う、般若は智慧と云うに、理教は何ぞ名を得ざらんや。

答ふ、理は能く慧を発し、教は能く慧を詮す。故に相従って悉く般若と名づくるを得。

 

二に通名は、波羅蜜多なり。此には到彼岸と云う。即ち妙慧に由って生死の此岸従り、煩悩の中流を越え涅槃の彼岸に到るなり。

 

二、喩とは、

心を肉団心と謂う。此に略説せば、群を統攝す。言はば方寸の心は五蔵の中の要なるに譬う。

 

通名の経とは、法と訓じ、常法と訓ず。乃ち群機の軌とする所、常なれば則ち百世に易わらざるなり。

 

二、体とは、主質を謂う。蘊空は一経の主質なり。

経家は行を標するに既に「照見五蘊皆空」と云う。菩薩は正説に至って還って蘊空を以て始めと為す。蘊空に達するに由って乃ち諸法空を知るなり。

 

而して此の真空は竪に因果を該す。以て一切の賢聖は皆、無為法而も差別有るを以ての故に、横に衆教を攝す。

 

般若は是れ一法なるに仏は種々の名を説くを以ての故に、空は横竪に非ずして横竪に遍するなり。

 

問う、此の蘊空を観ずるは小と何の別あるや。

答ふ、二乗は析破して方に空となす。今は蘊に即して是れ空なり。

 

若し爾らば通と豈に異ならんや。

答ふ、通観は空に即して空にして、法を具せず。而も此の円空は諸法を具足す。自性を動ぜず、蘊空は是れ真、法を具するは是れ俗、不動は是れ中なり。即空を観ずと雖も三諦具足す。尚を別の次第と同じからず。況んや蔵通とや。

 

是の故に四教は倶に蘊空を得れども、但し近、巧、拙、具法、不具法の異なりあり。

 

或は「二乗は人空を得、菩薩は法空を証す」と云うは、乃ち与奪して言うなり。

 

三、宗とは、

此の経は円照を宗と為す。実に三観円修なり。而して正しく空中を以て著を破す。菩薩は無所得心を以て分果を証し、如来は無所得心を以て極果を証す。故に円照を以て宗と為すなり。

 

四、用とは、般若を修するを以ての故に能く分段と変易の二死の苦を度し、菩提涅槃の二果の楽を得。是れ経の力用なり。

 

五、教とは、即ち第四熟蘇味の教なり。此の経に四訳あり。

一、秦の羅什訳は摩訶般若波羅蜜大明呪経と名づく。

二、唐の玄奘訳は般若波羅蜜多心経と名づく。

三、般若訳の立題は奘師と同じ。

四、法月訳は題上に更に普遍智蔵の四字を加う。

此の二訳は皆序及び流通有り。

 

今は第二本を釈す。此れ利根の菩薩に対して般若を略説するなり。

大論に仏経は通じて四人の説ありと明かす。謂く弟子・仙人・諸天・化人なり。

 

観自在は是れ弟子なり。説処は即ち霊鷲山なり。部は三教を談ずと雖も、今経は唯だ円なり。

題を釈し竟る。

 

 

(経)觀自在菩薩。

  二釋文此經無序及流通譯人省之辭尚簡要分文為二一經家據行標起二菩薩利他正初又四一能觀人二所修觀三所觀境四所破障初能觀人即觀自在菩薩也舊稱觀世音觀即能照之智世即所照之境音即所救之機以觀其音聲得解故新云觀自在謂觀現觀機悉自在也觀理則三諦圓照不縱不橫觀機則十界等化無前無後菩薩者藏師云菩謂菩提此謂之覺薩謂薩埵此曰眾生謂此人以智上求菩提用悲下救眾生從境得名。

 

 

二釈文。

此の経には序及び流通無し。訳人之れを省くか。辞も尚を簡要なり。

文を分かって二と為す。

一、経家は行に拠て起を標す。

二、菩薩の利他。

正説は初めに又、四。

一、能観の人。

二、所修の観。

三、所観の境。

四、所破の障。

 

初めの能観の人とは、即ち観自在菩薩なり。旧には観世音と称す。

観は即ち能照の智。世は即ち所照の境。音は即ち救う所の機。其の音声を観じ解脱を得せしむる以ての故に新には観自在と云うなり。

現(理か?)を観じ機を観ずるに悉く自在を謂うなり。

 

理を観ずるに、則ち三諦円に照らして不縦不横なり。機を観ずるは則ち十界等しく化して前無く後無し。

 

菩薩とは、蔵師の云く、菩は菩提を謂う。此には覚と謂う。薩埵は此には衆生を曰う。謂く此の人は智を以て上求菩提し、悲を用て下も衆生を救う。境に従って名を得。

 

 

(経)行深般若波羅蜜多時照見。

  行深下二所脩觀般若有二一共即通教共二乘修學故二不共即別圓不共二乘故共則唯觀即空故淺不共則能見中道故深又於不共有但中不但中之異別但中則淺圓不但則深今簡共以顯不共簡淺以顯深故云行深般若等時者言菩薩昔在觀行相似時也於凡位時即修般若由是今居等覺之聖照見者若誦文為便則照見二字宜作下句之首若釋義便者則屬上句之末以照見是能觀之用故。

 

行深の下に二。

所修の観般若に二有り。

一、共。即ち通教、二乗とと共に修学する故なり。

二、不共。即ち別円なり。二乗を共にせざる故なり。

共は則ち唯だ即空を観ずる故に浅し。

不共は則ち能く中道を見る故に深し。

又、不共に於いて但中・不但中の異なり有り。別は但中なれば則ち浅円にして、不但は則ち深し。

 

今は共を簡び、以て不共を顕す。浅を簡び深を顕すを以ての故に、行深般若等と云うなり。

 

時とは、菩薩、昔、観行・相似の時に在るを云うなり。凡位の時に於いて即ち般若を修すれば、是れに由って、今、等覚の聖に居するなり。

 

照見とは、若し誦文に便為(た)らば、則ち照見の二字は下の句の首(はじめ)に作し、若し、釈義の便ならば則ち上の句の末に属す

べし。照見は是れ能観の用なるを以ての故なり。

 

 

(経)五蘊皆空。

  三所觀境舊稱陰新云蘊蘊取積聚陰約覆蓋諸法俱空而唯觀五蘊者以一切眾生色心常現前故止觀初觀陰境意同此也皆空者以色由心造全色是心心但有名色寧實有故云皆空然雖三諦圓融經部正為遣著且在真中二諦也中亦空也空二邊故。

 

三に、所観の境を旧には陰と称す。新は蘊と云う。

蘊は積聚を取る。

陰は覆蓋に約す。

諸法は倶に空なり、而るに唯だ五蘊を観ずるは、一切衆生の色心は常に現前するを以ての故に、止観が初めに陰境を観ずる意は此れと同じなり。

 

空とは、色は心造に由るを以て、全く色は是れ心、心は但だ名色有るのみ。むしろ実に有らんや。故に皆空と云う。

 

然るに三諦円融と雖も、経部の正を遣著と為す。且くは真中二諦に在るなり。中また空なり。空二辺の故に。

 

 

(経)度一切苦厄。

  四所破障謂觀成證理既破三惑則外度二死故云度一切苦厄也然此大士位居等覺則度厄久矣今經對機乃約證外橫辯至於證須就竪論則行深般若正在住前度厄則指初住由入住故得至等覺又分真位中顯理未極位位有行般若度苦厄義也。

 

四に、所破の障とは謂く、観成じて理を証せば、既に内に三惑を破し、則ち外に二死を度す故に、度一切苦厄と云うなり。

然して此の大士は位、等覚に居せば則ち厄を度すること久し。今経は対機なれば乃ち内証に約し、外に横弁を説く。内証に至れば竪に就いて論ずべし。則ち行般若は正しく住に在り。前に厄を度するは初住を指す。入住に由る故に等覚に至るを得。又、分真位の中は、理を顕すこと未だ極まらず。位位に行般若有って苦厄を度する義なり。

 

 

(経)舍利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是。

  舍利子下二菩薩利他正分二一顯了般若二秘密般若所以有此二者隨機不同或聞顯歡喜或聞秘適悅生善破惡入理皆然故知顯秘之談俱為發生妙慧也問秘密不可解云何亦發慧答達不可解空是則能發慧故大論引天子謂須菩提所般若隱密難知我不能解而須菩提答云不解亦空是般若也應知以取著心誦顯了亦只增福以無相心誦秘密則能發慧初又二一約五蘊略明二歷諸法廣示初又二一約色廣明二例餘四蘊釋初又三一對示偏小二直明觀法三約論釋成初文告舍利弗者斥高訓下寄小教大身子智慧第一是小乘中高著者下謂餘聲聞及凡夫也大謂四教菩薩也今談諸法本空始乎五蘊終乎境智俱無所得豈但破凡小之執亦破偏菩薩及圓初心之著也故使小乘心漸通泰堪至法華利根菩薩即入圓常不待後味舍利子者具云舍利弗舍利飜身弗云子今二字存梵一字從華故云舍利子也以母好身形故母名身是身之子故名身子文中四句即是以圓融不共般若對示三教也三藏析色觀空謂觀此身四大假合展轉折破極于鄰虗然後知空豈非色與空異應知身如空華華豈異空故示云色不異空也通教即色觀空是知色不異空而沉空取證菩薩出假還須扶習豈非謂空異色應知空不異華故示云空不異色也別教離空有二邊觀中道理豈知中道遮照同時故示云色即是空空即是色般若洮汰引接點示故不彈呵二直示觀法先寄次第後顯不次初文一從假入空觀即色不異空二從空出假觀即空不異色三中道第一義觀謂色即是空空即是色此中道雙遮雙照也色即是空即照空遮色空即是色即照色遮空顯不次者有前後觀時三一相即故龍樹云三智一心中得也三約論釋成中論云因緣所生法我即是空亦名為假名亦名中道義色是因緣所生法也不異空是我即是空也空不異色是亦名為假名也色即是空空即是色是亦名中道義也是知三觀釋經宛如符契問智者於止觀明修必先觀識心舉伐樹得根去尺就寸為而此先從色起何邪答此對佛世利根觀色知心彼明末代所修須指要的又諸經示心甚眾此先觀色亦是隨機受想下二例餘四蘊。

 

 

舎利子の下に二。菩薩の利他と正説なり。

二に分かつ、

一、顕了般若。二、秘密般若。

此の二が有る所以は機に随って不同あり。或は顕を聞いて歓喜し、或は秘を聞いて適悦するあり。

生善・破悪・入理も皆然なり。故に知んぬ、顕秘の談は倶に妙慧を発生せんが為めなることを。

 

問う、秘密は解すべからずに云何が亦慧を発するや。

答ふ、不可解の空に達す、是れ即ち能く慧を発す。故に大論に引く、天子の謂く須菩提の所説の般若は隠密にして知り難く、我解すること能わず。須菩提、答えて云く、不解亦空、是れ般若なりと。

 

応に取著心を以て顕了を誦するは亦、只だ福を増し、無相心を以て秘密を誦するは則ち能く慧を発すと知るべし。

 

初めは又二。

一、五蘊に約して略して明かす。

二、諸法に歴て広く示す。

 

初めに又二、

一、色に約して広く明かす。

二、余の四蘊の釈を例す。

初めに又三、

一、偏小に対示す。

二、直ちに観法を明かす。

三、論に約して釈成す。

 

初文の告舎利弗とは高きを斥ぞけ下を訓じ、小に寄せて大を教う。

身子の智慧第一は是れ小乗中の高著の者なり。下は余の声聞及び凡夫を謂うなり。

 

大は四教の菩薩を謂うなり。今、諸法本より空なるを談ずる始め、五蘊終わる。境智倶に無所得なり。豈に但だ凡小の執を破すのみならんや。また偏の菩薩及び円の初心の著を破するなり。

故に小乗をして心漸く通泰し法華に至るに堪へ、利根の菩薩は円常に即入し後味を待たず。

 

舎利子とは、具に舎利弗と云う。舎利は身と翻ず。弗と云うは子なり。今、二字は梵を存し、一字は華(中国)に従う。故に舎利子と云う。

母、好き身形を以ての故に、母を身と名づく。是れ身の子の故に身子と名づく。

 

文中に四句あり。即ち是れ円融不共般若を以て三教に対示す。

 

三蔵は色を析して空を観ず。謂く、此の身は四大和合なりと観じて、展転して折破して、鄰虚に極まる。然る後に、空を知る。豈に色、空と異なるに非らずや。

応に身は空華の如しと知る。華、豈に空に異ならんや。

故に示して云く、色、空に異ならずと。

 

通教は、色に即して空を観ず。是れ色空に異ならずと知る。而して沈空取証す。菩薩の出仮は還って扶習を須ちう。

豈に空は色に異なると謂うに非ずや。

応に空は華に異ならずと知る。故に示して、空は色に異ならずと云うなり。

 

別教は、空有の二辺を離れて中道の理を観ず。豈に中道は遮照同時を知るに非らずや。故に示して、色即是空・空即是色と云う。

 

般若の淘汰は引接点示する故に、二を弾呵せずして直ちに観法を示し、先には次第によせて、後には不次を顕す。

 

初文の一は、従仮入空観。即ち色は空に異ならず。

二は、従空出仮観。即ち空は色に異ならず。

三は、中道第一義観なり。謂く色即是空・空即是色と。此の中道は雙遮雙照なり。

色即是空は即ち空を照らし、色を遮す。

空即是色は即ち色を照らし、空を遮す。

 

不次とは、説に前後有り。観時は三一相即の故に龍樹の云く三智一心の中に得と。

 

三は論釈に約して成ず。

中論に云く、因縁所生の法は我説く、即ち是れ空、また名づけて仮名と為す、また中道の義と名づくと。

色は是れ因縁所生の法なり。空に異ならず。是れ我は即ち是れ空と説くなり。

 

空は色に異ならずとは是れまた名づけて仮名と為すなり。

 

色即是空・空即是色は是れまた中道の義と名づくるなり。

 

是れ三観は釈経と宛も符契の如きを知る。

 

問う、智者は止観明修に於いては、必ず先に識心を観ず。樹を伐り根を得、尺を去って寸に就くを挙げて喩えと為す。而るに此れは先に色従り起こす。何ぞ邪(たが)うや。

 

答ふ。此れは仏在世の利根の色を観じ心を知るに対するなり。

彼は末代の所修は須く要的を指すべきことを明かす。また諸経には心を示すこと甚だ衆(おお)し。

 

此れは先に色を観ず。また是れ機に随うなり。

 

受想の下は二。余の四蘊を列す。

 

 

(経)舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不增不減。

  舍利下二歷諸法廣示分四一顯法體二明所離三辨所得四歎勝能初又二初總顯十界差別各有蘊等故云諸法當相是空故云空相法華云諸法從本來常自寂滅相二別顯凡三雙六不釋此為三一配經二對障三顯位初文者色不異空故不生空不異色故不滅色不異空故不垢空不異色故不淨色不異空故不增空不異色故不減色即是空等例故知六不與前四句言異義均二對障者生死即涅槃故不生涅槃即生死故不滅煩惱即菩提故不垢菩提即煩惱故不淨結業即解故不增解即結業故不減以三障空故即三德三德空故即三障也三顯位一不生不滅謂理即名字觀行相似受分段身死此生彼真空離此故不生不滅二不垢不淨謂分真人中智顯發名淨無明未盡名垢真空離此故不垢不淨三不增不減言究竟位諸惡永盡是減眾善普會是增真空離此故不增不減藏師引佛性論立三種佛性頗符今意一道前自性住佛性二道中引出佛性三道後至得果佛性佛性唯一就位分三今真空無異亦就位分三故知佛性真空異名也又法界無差別論亦明三位一染位二染淨三純淨。

 

舎利の下、二。

諸法を歴(へ)て広く示すに、分って四。

一、法体を顕す。

二、所離を明かす。

三、所得を弁ず。

四、勝能を歎ず。

 

初めにまた二。

初めに総じて十界差別を顕す。各々蘊等有るが故に諸法と云う。

当相是れ空の故に、空相と云う。

法華に云く、諸法従本来常自寂滅相と。

 

二に、別して凡そ三雙六不を顕す。

此れを釈するに三と為す。

一に経に配す。

二に障に対す。

三に位を顕す。

 

初めの文は、色、空に異ならざる故に不生。空、色に異ならざる故に不滅。

色、空に異ならざる故に不垢。空、色に異ならざる故に不浄。

色、空に異ならざる故に不増。空、色に異ならざる故に不減。

色即是空等は例して説く。

 

故に知んぬ。六不と前四句とは言は異なれども義は均し。

 

二に障に対すとは、生死即涅槃の故に不生。涅槃即生死の故に不滅。煩悩即菩提の故に不垢。菩提即煩悩の故に不浄。

結業即解脱の故に不増。解脱即結業の故に不減。

 

三障空なるを以ての故に、即ち三徳。三徳、空の故に即ち三障なり。

 

三、位を顕すとは、

一、不生不滅。理即・名字即・観行即・相似を謂う。分段身を受け此に死し彼に生ず、真空は此れを離れる故に不生不滅。

二、不垢不浄は、分真の人は中智を顕発するを浄と名づけ、無明未だ尽きざるを垢と名ずく。真空此れを離れるが故に不垢不浄と謂う。三、不増不減は、究竟位を言う。諸悪永く尽くす。是れ減なり。

衆善普く会す。是れ増なり。真空は此れを離る故に不増不減なり。

 

蔵師は仏性論を引いて、三種仏性を立つ。頗る今の意に符す。

一、道前自性住仏性。

二、道中引出仏性。

三、道後至得果仏性。

 

仏性は唯一なれど位に就いて三を分かつ。今の真空と異なり無し。また位について三を分かつ故に知んぬ。仏性は真空の異名なり。

 

また法界無差別論はまた三位を明かす。

一、染位

二、染浄。

三、純浄なり。

 

 

(経)是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界。  
是故下二明所離分四一空無三科二空無因緣三空無四諦四空無境智而此四段即空無十法界也三科是六凡法界因緣是緣覺法界四諦是聲聞法界境智是菩薩佛法界菩薩則分證境智佛果則究竟境智問別圓可爾藏通云何答藏菩薩六凡攝通菩薩二乘攝又十界各具四段以三科亦通佛境智亦該凡故亦成互具意也一空無三科謂蘊處界也初五蘊即合色為一開心為四無眼下二空無十二處處即合心為一半謂意處全及法處一分開色為十半謂五根五境為十處及法處一分無眼界下三空無十八界界即色心俱開。

 

是の故にの下は二。所離を明かすに分かって四。

一、空無の三科。

二、空無の因縁。

三、空無の四諦。

四、空無の境智。

而して此の四段は即ち空無十方界なり。

 

三科は是れ六凡。法界因縁は是れ縁覚。四諦は是れ声聞法界。境智は是れ菩薩仏法界にして、菩薩は則ち分証の境智。仏果は則ち究竟の境智なり。

 

問う、別円はしかるべし。蔵通は云何(いかん)。

答ふ、蔵の菩薩は六凡の攝、通の菩薩は二乗の攝なり。

又、十界各(おのおの)四段を具す。三科を以て亦通ず。仏の境智は亦、凡を該ぬ。故に亦、互具の意を成ず。

 

一、空無三科は蘊処界を謂う。

初めの五蘊は即ち色を合して一と為し、心を開いて四と為す。

 

無眼の下に二。空無十二処、処は即ち心を合して一半と為す。謂く意処は全、及び法処は一分なり。

 

色を開して十半と為す。謂く五根五境を十処とし、及び法処は一分

 なり。

 

無眼界の下に三、空無十八界なり。界は即ち色心倶に開くなり。

 

 

(経)無無明亦無無明盡乃至無老死無老死盡無苦集滅道無智亦無得。

  無無下二空無因緣而有生滅十二因緣生為凡夫十二因緣滅為聖人空無凡聖故生滅俱無舉初後二支以明生滅中略十支故云乃至盡亦滅也無苦下三空無四諦苦集是世間因果滅道是出世因果而皆先果後因者意令厭苦斷集忻滅修道也以本空故皆無無智下四空無境智九界俱空即佛境界知空之智 自無故云無智所得空理亦無故云無得此理智俱無即佛界亦不可得也

 

無無の下に二。空無因縁に生滅あり。十二因縁生を凡夫とし、十二因縁滅を聖人と為す。

 

凡そ聖は空無の故に生滅倶に無なり。

初後の二支を挙げ、以て生滅を明かす中、十支を略す。故に、乃至尽と云う。亦、滅なり。

 

無苦の下に三。空無四諦。苦集は是れ世間の因果。滅道は是れ出世の因果にして、而して皆、先に果、後に因なり。意は苦を厭い集を断じ、滅を忻(よろこ)び道を修せしむるなり。本、空を以ての故に皆な無なり。

 

無智の下に四。空無境智。九界倶に空なれば即ち仏の境界は空を知るの智なり。

自ずから無の故に、無智と云う。所得の空理も、亦た無き故に、無得と云うなり。

此れ理智倶に無ければ即ち仏界も、亦、不可得なり。

 

 

(経)以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離顛倒夢想究竟涅槃。

  以無下三辨所得分二一牒前起後二正明所得初文者以無所得故牒前起後也以用也故者諸詞耳即菩薩諸佛用前所明無所得心故即得智斷果也大品云無所得故而得菩提下二正明所得分二一得分真斷果二得究竟智果分真亦得智究竟亦有斷聖言互略得意必備初又二一舉人依法二斷障得果初文菩提薩埵舉人也依般若波羅蜜多故明依此法用無所得心也此指住前行深般若時也前以菩薩果約圓分真者正依此文心無下二斷障得果分三一得成二斷障三得果初文者即從相似後心入無功用道也心無罣閡者三障四魔不能為閡也以達皆空故無罣下二明斷障無罣閡故牒前起後也由入初住無功用道則外破二種生死恐怖斷無明顛倒夢想即度一切苦厄也究竟下三得果涅槃具云摩訶般涅槃那此翻大滅度大即法身滅即解度即般若三德分顯一得永常簡異偏小故名究竟此分得究竟非究竟究竟。

 

以無の下に三。所得を弁ずるに二に分かつ。

一、前を牒して後を起こす。二、正しく所得を明かす。

初めの文は、無所得を以ての故に、前を牒し後を起こすなり。以は用なり。故は諸詞のみ。

 

即ち菩薩諸仏の用は前に明かす所の無所得心の故に、即ち智を得て果を断ずるなり。大品に云く、無所得の故に菩提を得と。

 

菩提の下に二。正しく所得を明かすに分かって二。

一、分真を得果を断ず。二、究竟智の果を得。分真亦智を得、究竟も亦、断有り。聖言は互略す。意得て必ず備うべし。

 

初めに又二。一に人、法に依るを挙ぐ。二に断障得果なり。

初めの文の、菩提薩埵とは人を挙ぐ、般若波羅蜜多に依る故に、此の法に依るを明かす。用は無所得の心なり。

 

此れは住前の深般若を行ずる時を指すなり。前に菩薩の果を円に約するを以て、分真は正しく此の文に依る。

 

心無の下に二。断障得果なり。分かって三。一、得成。二、断障。三、得果なり。

 

初文は即ち相似の後心従り無功用道に入るなり。

 

心無罣閡とは、三障四魔も閡を為すこと能わざるなり。皆空に達するを以ての故なり。

 

罣閡の下に二。断障無罣を明かす。故に前を牒して後を起こすなり。初住は無功用道に入るに由って則ち外に二種の生死の恐怖を破し、内には無明顛倒の夢想を断ずれば、即ち一切の苦厄を度するなり。

 

究竟の下は三得果。涅槃は具に摩訶般涅槃那と云う。此には大滅度と翻ず。大は即ち法身。滅は即ち解脱。度は即ち般若。一を分顕せば永常を得。偏小に簡異する故に究竟と名づく。此の分得究竟は究竟に非ざる究竟なり。

 

 

(経)三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提。

  三世下明究竟智果分二一舉人依法謂三世諸佛皆於等覺位中達無所得則極果方成故云依般若波羅蜜多故也二正明得果阿耨多羅此云無上三藐此云正次三者此云等菩提此云覺謂無上正等覺也正覺則正觀中道等覺則雙照二邊此即三智一心中得至極無過故云無上。

 

三世の下、究竟智を明かす。二に分かつ。

一、人、法に依るを挙ぐ。謂く、三世の諸仏皆、等覚位の中に於いて無所得に達す。則ち極果、方(まさ)に成ず。故に般若波羅蜜多に依る故にと云うなり。

二、正しく得果を明かす。阿耨多羅は此に無上と云う。三藐は此に正と云う。次の三は此に等と云う。菩提は此に覚と云う。無上正等覚と謂うなり。

 

正覚は則ち正しく中道を観ず。等覚は則ち二辺を雙照す。此れ即ち三智一心の中に得。至極にして過る無き故に無上と云う。

 

 

(経)故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真實不虗。  
故知下四歎勝能分二一別歎故知者牒前起後由佛菩薩依般若得菩提涅槃果故知般若是大神呪等皆言呪者約歎也以諸神仙得秘呪故轉變自在佛菩薩行般若故能轉凡成聖變因為果又呪者願也佛法時願眾生如佛譬蜾蠃之呪螟蛉若爾則顯咸是呪義故今所歎結前顯起後密釋此為二消名配法初釋者舊云除障不虗名神呪智鑒無昧名明呪更無加過名無上呪獨無倫名無等等呪配法復二四悉六即夫顯密被機豈踰四益故依此義以立嘉名歡喜名神呪生善名明呪破惡名無上呪入理名無等等呪六即者受益入位亦有四異名字改迷名神呪觀行相似觀照清淨名明呪分真顯理名無上呪究竟無過名無等等呪謂無等之位互相齊等故云無等等十地論云無等者謂佛比餘眾生彼非等故重言等者此彼法身等故何故不但無等耶示現等正覺故能除下二總歎能除一切苦即二死苦除真實不虗即三德理顯。

 

故知の下に四。

勝能を歎ず。二に分かつ。一、別して歎ず。故に知ぬとは前を牒して後を起こす。仏菩薩は般若に依って菩提涅槃の果を得るに由っての故に般若は是れ大神呪等と皆言うを知る。呪とは喩えに約して歎ずるなり。

諸神仙、秘呪を得るを以ての故に転変自在なり。仏菩薩は般若を行ずる故に能く凡を転じて聖を成ず。因を変じて果と為す。

 

又、呪とは願なり。仏、法を説く時、衆生仏の如くならんと願ず。譬えば蜾蠃の螟蛉を呪するが如し。

 

若し爾らば則ち顕説密説咸く是れ呪の義の故に、今の所歎は前の顕説を結し、後の密説を起こすなり。此れを釈するに二と為す。消名と配法となり。

初の釈は旧に云く、障りを除くこと虚しからざるを神呪と名づく。

智鑑、昧無きを明呪と名づく。更に過を加うること無きを無上呪と名づく。独絶無倫を無等等呪と名づく。

 

配法に復(また)二。四悉と六即となり。

夫れ顕密は機に被るに豈に四益を踰へんや。故に此の義に依って以て嘉名を立て、歓喜を神呪と名づけ、生善を明呪と名づく。破悪を無上呪と名づけ、入理を無等等と名づく。

 

六即は、受益入位に亦四異有り。名字は迷を改むを神呪と名づけ。観行相似は観照清浄なれば明呪と名づけ、分真は理を顕せば無上呪と名づけ、究竟は過る無きを呪と名づく。

 

謂く無等の位は互いに相斉等の故に無等等と云うなり。

 

十地論に云く、無等とは仏、余の衆生を比ぶるに彼れ非等の故に重ねて言うなり。等とは、か此彼の法身、等しき故なりと。

 

何が故に但だ無等を説かずや。等正覚を示現するが故なり。

 

能除の下に二。

総じて歎ず。能く一切の苦を除く。即ち二死の苦を除くこと真実不虚なれば即ち三徳の理顕わる。

 

 

(経) 故般若波羅蜜多呪即呪曰。

  揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提娑婆訶

  故下二秘密般若分二一牒前起後二正呪詞夫諸佛密語非因位所解縱譯梵成華人亦不曉故凡當密語例皆不翻深求其致只是密前般若無所得心耳其猶世人典語召物庸俗莫得而知物豈異哉或作強釋翻言解義者恐違秘密之今無取焉般若心經疏(大尾)

 

故説の下に二。秘密と般若なり。

分かって二。

一、前を牒して後を起こす。

二、正説。

呪の詞は夫れ諸仏の密語なれば因位の解する所に非ず。縱ひ梵を訳して華と成すも、人亦暁らめざる故に、凡そ密語は、例して皆翻ぜずして其の致(おもむき)を深求すべし。只だ是れは密説なり。前の般若は無所得心のみ。

 

其れ猶を世人の典語の物を召すに庸俗は得て而も物を知ること莫きと豈に異なりあらんや。

或は、強いて釈し言を翻し、義を解せば、恐らく秘密の説に違いなん。今は取ることなし。

 

般若心經疏(大尾)

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